読谷中学校校門前から県道12号線を東に500メートルほど進むと、右手に大きなホルトの木があり、枝を県道の上まで広げています。その木の根元近くに「座喜味家族壕跡」と刻まれた黒御影石(くろみかげいし)の小さな石碑が建っています。
1944年(昭和19)10月10日の朝、宇座の徴用工たちが北飛行場に向かっている途中、上地の集落で空襲に遭いました。しばらく様子を見計らってから歩き出し、やがて作業現場に差し掛かろうとする時、近くに爆弾が落下し始めました。
恐怖の余り、慌(あわ)てふためいて右往左往する人々は、地元座喜味の人の好意で、近くの家族壕に避難させてもらいました。
ところが家族壕ですので狭く、すし詰めになっていました。
その壕口近くに爆弾が落下して、横穴式壕の入口はつぶされ、壕はすっかりふさがれてしまいました。やがて壕内は酸欠状態となり、人々は呼吸困難に陥り、次々に息が絶えていきました。
その壕にいた人のうち12人が亡くなり、その内、9人が宇座からの徴用工だったということです。
この家族壕の南側近くには飛行機の掩体壕(えんたいごう)があり、それを狙(ねら)っての爆弾投下だったようですが、目標を外れた爆弾が家族壕口前に落下したということのようです。
ここで亡くなった人々は、読谷山村における最初の一般住民戦争犠牲者の内の12人となったのです。
碑の裏には犠牲者の氏名が刻銘されています。