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 アイスバーグ作戦

 沖縄戦は、太平洋戦争の道のりの終局であった。米軍は、マリアナ沖海戦で日本海軍の機動部隊を壊滅させ、サイパン・テニアンなどに日本本土を爆撃する基地を設営した。
 アメリカの陸軍と海軍は二方面から日本本土に迫った。
 マッカーサー(陸軍)は、一九四四年(昭和十九)十月、フィリピン攻略を開始した。開戦当初、日本軍によってフィリピンを追われたマッカーサーはオーストラリアに撤退したが、そのとき、「アイ・シャル・リターン(必ず戻ってくる)」という名文句を残した。今まさに自らの公約を果たすこととなったわけである。
 海軍のニミッツ元帥(太平洋艦隊司令長官および太平洋方面総司令官)は、硫黄島を攻撃し、一九四五年(昭和二十)三月には沖縄攻略計画「アイスバーグ作戦」に着手した。
 米軍は、日本本土に上陸・占領しなければ日本は降伏しないと判断していた。その第一着手として、アイスバーグ作戦(沖縄攻略・一九四五年四月〜十月)を策定し、第二段階としてオリンピック作戦(南九州上陸・一九四五年十一月〜一九四六年二月)、最後にコロネット作戦(関東平野上陸・一九四六年三月)を想定していた。
 米軍にとって、対日戦の前線基地として沖縄を占領することは不可欠であった。四五年四月一日付の『ニューヨーク・タイムズ』は次のように報道している。
 「沖縄を占領すれば、台湾、中国沿岸、日本本土のすべてが、B29爆撃機はもちろんのこと、中距離及び重爆撃機の攻撃範囲に入り日本占領に王手がかかることになる。琉球は海に浮かぶ最後の砦なのだ。」

 アメリカはまた、占領後の沖縄を、西太平洋で最大の軍事基地にするという極東戦略をかためつつあった。日本列島・南西諸島・台湾・フィリピンにいたる軍事包囲網によってソ連を封じこめていく冷戦構想の骨格はすでにできていた。沖縄は冷戦構造の中枢として位置づけられていったのである。
 さらに、中国大陸の国民党軍を支援する基地としても沖縄は重要視された。沖縄占領後、米軍は大量の軍需物資を那覇港やホワイト・ビーチから上海へ送りこんでいる。中国革命の進行とその後の台湾海峡の緊張、朝鮮戦争、ベトナム戦争の時期に、基地沖縄の役割は一層鮮明になっていった。

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