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4 戦争と軍人・軍属概説

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 読谷村出身軍人・軍属の戦没者数と場所

(一)「平和の礎」に刻銘された読谷村出身軍人・軍属戦没者の数と場所
 次に掲げる表1は、「平和の礎」に刻銘された読谷山村出身軍人・軍属戦没者の数と、戦没場所を示すものである。

 表1 「平和の礎」に刻銘された読谷山村出身軍人・軍属戦没者

軍人・軍属
中国方面
南洋方面
日本本土
沖縄
不明
件数
海軍
軍人
7
47
11
13
0
78
軍属
7
97
2
33
2
141
陸軍
少尉
0
2
0
0
0
2
曹長
0
0
0
1
0
1
軍曹
0
3
1
4
0
8
伍長
21
64
1
65
0
151
兵長
28
55
3
177
1
264
上等兵
27
25
4
566
1
623
一等兵
5
5
3
3
0
16
二等兵
1
1
1
0
0
3
軍属
2
66
1
192
1
262
不明
1
1
0
4
0
6
不明
12
24
13
35
23
107
111
390
40
1,093
28
1,662

 

海外における読谷山村出身軍人・軍属の死亡場所

 

(二)海外における読谷村出身軍人・軍属の死亡場所(中国及び南方各地)
 戦域の拡大とともに、読谷村出身軍人・軍属も、各地に派遣され表1に見るような戦没者(中国一一一、南方方面三九〇)を出している。
 各地における具体的な数を示すことは他にゆずり、ここでは次の図1により、海外における読谷山村出身軍人・軍属の死亡場所を示し、参考に供したい。
 同図は国外別戦没地であるが、それらの国・地域の内、フィリピンや内南洋(マリアナ・カロリン諸島)には出稼ぎ者等が多く、軍人・軍属だけでなく非戦闘員たる民間人も多かったと思われる。
 それらのことは、国内のことと共に今後の詳しい調査によって解明される事となろう。したがって現時点では参考として提示したまでである。
 しかし、いずれにしても戦没場所がこのように広範に及んでいることは、日本軍の配備の在り方を物語るものである。
 このような軍配備は、軍事力の分散配備にしかならず、マキン島の守備隊はたったの二八四人で、タラワ島は四、五〇〇人、クェゼリン・ルオット両島で合わせて六、八〇〇人という状況で、それで守備軍とは全くもって大風呂敷のお粗末で、そのような無茶な配備の中には本村出身の軍人・軍属も投入され、飢餓や疫病、あるいは敵襲で倒れて行った人々もいたことを物語っている。

沖縄戦における日・米の損害
 戦死者数
日本(合計)
二四四、一三六人
 正規軍
六五、九〇八人
 防衛隊
二八、二二八人
 戦闘協力者
五五、二四六人
 住民
九四、七五四人


大田昌秀編著『これが沖縄戦だ』より引用
同書では米国陸軍省『日米最後の戦闘』その他参照となっている
※米国の戦死者数及び艦船・航空機の損害は割愛

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