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5 シベリア抑留体験

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 読谷山村民のシベリア抑留体験

 シベリアへ強制連行された人々は、日本兵の捕虜がほとんどであるが、そのほかに、満蒙開拓団員としてソ満国境近くに入植していた農民、義勇軍兵、「満州国」の官吏、「満鉄(南満州鉄道株式会社)」や「満業(満州重工業開発株式会社)」、「満拓(満州拓殖公社)」などの国策会社職員、さらには従軍看護婦、軍関係の事務職員であった婦女子も含まれていた。
 読谷山村内からは、二六人のシベリア抑留体験者(二〇〇〇年十月現在)が分明している。戦争当時、一〇〇人以上の村民(現地で生まれた子どもを含む)が様々な事情から満州に移住していた。
 当時満州のハルビンにいた座喜味の山内※※・※※夫妻は、自宅の窓からハルビン工業大学学生寮の日本人学生たちが、全員両手を挙げさせられて、ロシア軍に引っ張り出されて行くのを目撃している。「銃を持ち、ブーツのような軍靴を履いたロシア兵」が連行した日本人は、年齢も十六歳から五十歳くらいまでと幅広く、女性も含まれていた。宇座の津波※※は大阪昇平開拓団の団員として渡満したが、敗戦後開拓村を立ち退く混乱の中、消息不明となっている。長女※※は、人づてに父がロシア兵に連れて行かれたと聞いている。

村民の抑留体験者

比嘉※※ 明治四十二年生
比嘉※※ 大正十一年生
新垣※※ 大正十二年生
松田※※ 大正九年生
知名※※ 大正十年生(シベリアにて死亡)
石川※※ 明治三十八年生(シベリアにて死亡)
仲村渠※※ 大正十年生
石嶺※※ 明治四十二年生
照屋※※ 大正二年生
安里※※ 大正十五年生
知花※※ 大正十年生
當間※※ 大正十一年生
國吉※※ 大正十二年生
玉城※※ 大正十四年生
玉城※※ 大正十四年生
儀間※※ 大正十年生
宮城※※ 大正十三年生
國吉※※ 大正十年生
棚原※※ 大正二年生
知花※※ 大正十二年生
新城※※ 大正十三年生
知念※※ 大正十二年生(シベリアにて死亡)
宇座※※ 大正五年生
當山※※ 大正九年生
津波※※ 明治四十五年生
波平※※ 大正九年生

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