1 南洋出稼ぎ移民の戦争体験


(註釈)

 戦前に南洋群島に在住していた沖縄県出身者は「移民」か「出稼ぎ者」かということについての議論がある(今泉一九九八・一〇・七沖縄タイムス記事)。今後の検討課題としたい。

 国際連盟規定の委任統治には「A式」「B式」「C式」の三つに区分されていた。それぞれについて、南洋庁(一九三二)から引用しよう。
「A式は主として受任國の助言及援助を受くべきものとし、従来土耳古帝国に属したる或る部族に適用せられ、B式は主として、受任國に於て、其の地域に信教の自由、奴隷の売買、武器及火酒類の取引を禁止し、又軍事的施設の禁遏等を条件とする。中央阿弗利加一部の人民が之である。而してC式統治は、西南阿弗利加及太平洋諸島の如き、人口稀薄、面積狭小、文明の中心より遠き地方に適用せらるゝものとし、B式統治に於ける各条件を保障して、受任国領土の構成部分とし、其の国法の下に施政を行ふを以て本旨とする」(南洋庁一九三二・六五―六六)。

 小菅輝雄(一九九〇)は、能仲文夫『赤道を背にして』(一九三四)、南洋庁『南洋群島要覧』一九二五、南洋庁『南洋群島の(島・町・村)地図』の三種類の文献を合本したものである。以下、これらの文献を引用する場合には、それぞれ区別して、能仲文夫『復刻版赤道を背にして』一九九〇 [一九三四]、南洋庁『南洋群島要覧』一九九〇 [一九二五]、南洋庁『南洋群島の(島・町・村)地図』一九九〇と表記する。

 南洋興発が単なる私企業ではなく、半国策会社であったという根拠は、会社の株構成と南洋庁との財政的結びつきの二つの側面にみることができる。赤嶺秀光によると、戦争が終わった時点での南洋興発株式会社の株構成において、国策会社である東洋拓殖株式会社の持ち株四八九、七六〇株であり、これは全体の六六・八%にあたる。さらに、南洋庁の財政が、南洋興発株式会社一社の支払う砂糖の出港税だけでその財源を完全にまかなっていた(赤嶺秀光一九九〇・八四)。

 聞き取り調査資料を基にした記述は、一九二〇年代から一九四〇年代初めまでの南洋の状況に関するものである。より詳しい年代を絞り込むために、インフォーマントの渡航した時期を図3で示すことにする。

 戦後、海外から引揚げてきた移民、出稼ぎ者をメンバーとする沖縄外地引揚者協会が設立された。同協会は各市町村に支部があり、読谷山村の支部長は知花※※が務めた。戦前・戦中に海外に居住しており、戦後、沖縄への引揚げを余儀なくされた人々のリストを作成したり、これらの人々が渡航先でかつて持っていた財産を調査している。同協会は、一九九二年頃まで活動していたが、現在、活動はほとんどしていない。『引揚者給付金請求書処理表』は、数十年かけて同協会が行った調査の結果である。この資料から、外地引揚者の人数、渡航先、渡航年月日、引揚げ年月日などを知ることができる。

 テニアンにおける池原※※の体験参照。

 戦没者の人数については、資料によって違いがある。ここでは、この違いの意味を考察することは保留しておく。

 オオハマボウ、沖縄ではゆうなと呼ばれるアオイ科常緑小高木(沖縄タイムス社『沖縄大百科事典』四〇八)。


(参考文献・資料)

赤嶺秀光
 一九九〇「南洋移民とは何だったのか」『新沖縄文学』八四
安仁屋政昭
 一九九〇「南洋移民の戦争体験」『新沖縄文学』八四
 一九八五  一九三〇年代における佐良浜漁民の南洋諸島出漁」『南島文化』七、沖縄国際大学南島文化研究所
 一九九〇「南洋移民の戦争体験」『新沖縄文学』八四
新垣三郎
 一九九八『琉球新報八月一五日』
 一九九〇「体験記録、サイパン・戦犯死刑囚から牧師へ」『新沖縄文学』八四
池原善福
 一九九〇「体験記録、ポナペ・島との絆ふたたび」『新沖縄文学』八四
石川友紀
 一九九七『日本移民の地理学的研究』榕樹書林
 一九七四「海外移民の展開」『沖縄県史 七移民』
今泉裕美子
 一九九八・十・七「沖縄タイムス記事」
 一九九七a 「南洋群島の「玉砕」と日本人移民」『戦争と日本人移民』移民研究会東洋書林
 一九九七b「サイパン島における南洋興発株式会社と社会団体」『近代アジアの日本人』経済団体同文館出版
沖縄ロタ会事務局
 一九九〇『ロタ会会誌 創立十周年記念』沖縄ロタ会事務局
沖縄タイムス社
 『沖縄大百科事典』
外務省
 『海外渡航者名簿』外務省発行
 『海外旅券下付表、外国旅券下付表』外務省発行
鹿島平和研究所
 一九七三『日本外交史二二・南進問題』鹿島平和研究所鹿島出版会
児島襄
 一九六六『太平洋戦争(下)』中公新書
小菅輝雄編
 一九九〇『復刻版Micronesia南洋紀行 赤道を背にして 昭和十四年版南洋群島要覧、南洋群島の島・町・村・地図』
後藤乾一
 一九九五『近代日本と東南アジア・南進の「衝撃」と「遺産」』岩波書店
サイパン会誌編集委員会
 一九八六『サイパン会誌 思い出のサイパン』サイパン会誌編集委員会
 一九九四『サイパン会誌 思い出のサイパン 第二号』サイパン会誌編集委員会
高里盛昭
 一九九〇「体験記録、サイパン・ゴンゴンに泣く」『新沖縄文学』八四
武見芳二
 一九二八「沖縄県出移民の地理学的研究」『地理学評論』四・二・一―二二、四・二・一二―四七
仲地哲夫
 一九八五「大正期〜昭和戦前期における伊良部島の生活と出稼ぎ」『南島文化』七、沖縄国際大学南島文化研究所
南洋庁
 一九二五『南洋群島要覧』(南洋庁一九九〇『復刻版 昭和十四年版 南洋群島要覧』小菅輝雄編)
 一九三二『南洋庁施政十年史』
能仲文夫
 一九九〇『南洋紀行 赤道を背にして』
パラオ会誌編集委員会
 一九九三『沖縄パラオ会会誌 第一〇回総会記念 第二号』パラオ会誌編集委員会
ポナペ会誌編集委員会
 一九九〇『太平洋の楽園 ポナペ会誌』ポナペ会誌編集委員会
 一九九五『太平洋の楽園 ポナペ会誌 一〇周年記念号』ポナペ会誌編集委員会
松江春治
 一九三二『南洋開拓拾年史』南洋興発株式会社
矢野暢
 一九七五『「南進」の系譜』中公新書
 一九九〇「近代日本における『南進』政策と民衆」『新沖縄文学』
山城達雄・又吉盛清・新垣安子
 一九九〇「座談会・戦時下における民衆ー台湾・フィリピン・南洋諸島ー」『新沖縄文学』
『引揚者給付金請求書処理表』 読谷村役所・沖縄外地引揚者協会調