第三章 史(資)料にみる読谷山村と沖縄戦
玉城栄祐
 第一節 防衛庁関係資料にみる読谷山村と沖縄戦
 第二節 『モリソン戦史』から見た「十・十空襲」と読谷山 久手堅憲俊
 第三節 『沖縄県史 アイスバーグ作戦』にみる読谷山 吉浜忍
 第四節 「読谷村戦没者名簿」からみた戦没状況 豊田純志
 第五節 読谷村「戦災実態調査」の分析 豊田純志

第四章 米軍上陸後の収容所 豊田純志

第五章 帰村時行政文書等にみる村民移動 大湾武

第六章 証言記録
はじめに
読谷村民の戦争体験の特徴
男性の証言
松田※※(宇座)ヤーガーの崩落から生き残って
勢理客※※(牧原)長崎で被爆
玉城※※(渡慶次)避難の体験記
佐久川※※(比謝)徴用、十・十空襲、そして避難
福地※※(渡慶次)片腕を失い、火炎放射を受けた体験を越えて
大城※※(高志保)二度も召集されて
山城※※(座喜味)戦時中のこと
波平※※(喜名)球九一七三部隊の用務員として
山内※※(上地)「投降勧告」の役目をやらされて
比嘉※※(上地)戦中戦後を生き抜いて
新垣※※(喜名)八幡製鉄所でアメリカ人捕虜と
宮城※※(大湾)読谷からやんばる、そして投降
松田※※(喜名)護郷隊の一員として
山内※※(宇座)中国の戦野を転戦
比嘉※※(座喜味)字の警防団長を務めた後、防衛隊に
屋宜※※・※※(楚辺)六〇年ぶりに戻った軍事郵便
池原※※(楚辺)再度の召集
冨着※※(伊良皆)軍属として那覇分廠へ
福原※※(那覇市在住)私が勤務していた旧那覇分廠
松村※※(那覇市在住)陸軍保安部那覇出張所について
上原※※(波平)台湾での戦争体験
知花※※(名護市在住)戦争よりも辛いこと
当山※※(座喜味)座喜味の警防団長として
阿波根※※(古堅)家族とともにヤンバル避難
伊波※※(伊良皆)防衛隊員として
松田※※(大湾)悲劇の防波堤(沖縄県蚕業試験場職員としての体験記)
波平※※(喜名)防衛隊員として
女性の証言
子どもたちの証言
戦災孤児たちの戦争体験 藤本愛美
証言記録 「いくさ場の人間模様」 渡久山朝章
元役場職員座談会
沖縄県立農林学校第四十二期生座談会
元特攻隊員座談会
航空兵及び関係者の証言

第七章 慰霊の塔は語る 宮城傳