勝連バーマーは、なー、あれー、昔ぇよ、首里ぬ中城御殿ぬ前なかい魚小堀んち在たしぇ。あぬ池掘いによ、大昔てーうれー、あぬ池掘いにありすたんでぃ。
「勝連ぬ夫や時間ぉちゃー遅りてぃ、あんしぇーならんしが」でぃ、「あーなー、勝連ぉ此処から遠さくとぅ、あんしるないびらん」でぃ。「あー、うれー、時間ぉ時間ぬぐとぅしわるないる。皆、一時間なー経過そーしが、いったーや皆がしっから、うっさ経過しぇーならのーあらに」んちゃるふーじ。
「あんるんやらー、なー、今日ぬ月ぬ上がい限りーしみてぃきみそーり」んちゃるふーじ、夜ぬ。だー、十日月ぬ、十日るないたんでぃくとぅ、うりが話しーねー。「十日月ぬ上がいる間しみり」でぃち相談ぉさぐとぅ。十日月ぇ二時、三時まんぐら上がいるふーじ。あー、人後から来てぃ人先、「とー、十日月ぇ上がとーぐとぅ、りか家かい」んち、部下ぬ達や添てぃ行ぢぇーるふーじ。
あんなー全員、ありなかい打たってぃなー、其処ぬ班長達ん全員、ありなかい打たってぃならんよー。勝連バーマーなかい打たってぃならんなてぃさい、「なーうれー、謀さんあれーならん」、其処ぬ班長が。「何ぅ、ぃやー今日や破り帕被とーしが、ちゃーるばーが。帕ぇー弱とーらー捨てぃやーい、新物また買てぃ被んらんそーてぃ、破り帕被とーる」んちゃくとぅ、「勝連ぉ山羊所なやーい、うぬ山羊ぬるなー、うぬ帕ぇうちゅ喰てーる」んちゃくとぅ、「とーあんるんやらー、山羊ぬまんどーらー、山羊上納し」んち、あんさー、うり一ちぇーなー、また打たってーるふーじ。
あんさーに、わじゃわざ、なー、中ぁ破りとーるオーラー選でぃ。勝連バーマー班長やくとぅ、うり選ばーい、うりなかい入りらち担みてぃなー、側んかい上ぎたぐとぅ。だー、側んかい持っち来る間ねーけー漏てぃ、ちゃー同ぬ道くでぃ。あんしんしちゃんでぃる世やくとぅよー、あんしん通すたんでぃる世。
なーうりん済まち、今度ぉなー、其処ぁ仕上げなたぐとぅよー、あぬー魚小堀や。魚小堀や仕上げなやーい、班長ぬ達なー辻んかい会やてーるふーじ。「でぃー、今日ぬ会や辻んかいやー」んち、する所ぉ決みたくとぅ。何処ぬ何処んけーどーやーでぃ決みたくとぅ、「うぬ会ぬ場に焼きーる話しーるんさー、うぬ会費ぇ、今日ぬ会費ぇうりんかい持たしよーやー」んち、また話ぃ出じゃちょーるぐとーん、勝連バーマーが。
なー、会場んかいわじゃわじゃ後なてぃよー、うぬ勝連バーマーや、後なてぃさくとぅ。なー、酒ぐゎーん飲でぃ、御馳走ん食でぃなー、ふみちぢ酔とーる時分に行ぢぇーるふーじ、勝連バーマーや後なてぃ。行ぢさくとぅ、「何がバーマー、ぃやーや、あんし今でぃー。時間ぉひゃー何時なとーくとぅ」んちゃくとぅ。「あー、私ねー珍しー事、なー御無礼ないやさにでぃ思てーういやすしが、なー珍さぬ、うり見じゅんりるなー今でぃーなとーる」んちゃくとぅ。「ぬが何やが」り、「木羽釜んかい物煮ち食まぎーし見じゃーい、ハッシャ、珍さぬ、後なとーいびーんでー」んちゃぐとぅ。「木羽釜んかい物煮ねー、うぬ羽釜ぁ焼きーさに」んちゃくとぅ、「とー、今日ぬ会費ぇ貴方がどーやー」でぃ、会費ぇ免たんでぃぬ話。
首里の中城御殿の前に魚小堀(龍潭池)というのがあるでしょう。勝連バーマーの話はね、あの池を造ったときの話だよ、大昔のこと。
「勝連の人夫はいつも時間に遅れて、こんなことではいけない」と役人が言うと、「いやもう、勝連はここから遠いので、間に合わせることができないんです」と、勝連バーマーが答えた。しかし、「いや、時間は守りなさい。他の皆が仕事を始めてから一時間になるよ、お前たちは、こんなに遅れてはいかん」と言われたそうだ。
それで、勝連バーマーは「それじゃ、今日は夜の月が上がるまでさせて下さい」と言ったようだね。しかし、ほら、勝連バーマーがその話をしたのは十日のことで、十日月は昼の二時、三時頃に上がるのを知った上で、「十日月の上がるまでさせて下さい」と、そうとは知らない役人の了解を得たわけだよ。それで、人より遅れて来て人より先に、「もう十日月はすでに上がっているから、さあ帰ろう」と言って、部下を連れて帰ったようだ。
このように、役人やそこの班長たちも皆、いつも彼の策にやられていたものだから、「もうこいつをなんとかやっつけたい」と、そこの班長は考えていたんだね。ある日、「今日のお前の破れた帕はどうしたんだ。破れた帕は捨てて、新しいのを買って被ればいいのに、破れた帕なんか被って」と、勝連バーマーをからかったんでしょうね。勝連バーマーは負けじと、「いえ、勝連は山羊の名産地で、そのたくさんの山羊が全部、帕を喰ってしまうんだ」と答えたようだ。そこで、「ああ、そうか。そんなに山羊が多いなら、山羊を上納しなさい」と言われ、その時ばかりは勝連バーマーがやられたようだ。
勝連バーマーは、わざわざ、中が破れているモッコを選んでね。それに石や土砂などの荷を入れさせて担いでいたそうだ。ところが、池の側まで持って来る間には、その荷の殆どは漏れ落ちるでしょう。班長の勝連バーマーは軽くなったモッコを運んで、同じ道を行き来していたって。その当時は、そういうことをしても許された時代だった。
そんなことをしながらも、龍潭池が仕上がったので、班長たちは辻遊郭で慰労会をすることになった。「さあ、今日の慰労会は辻のどこそこでね」と、会場を決めて、「その席で焼ける話をしたら、今日の会費は、その人に持たそうね」と、勝連バーマーが提案したそうだ。
そうして、この勝連バーマーは、会場にわざと遅れて行ってね。遅れて行ったものだから。もう皆は、酒も飲み、御馳走も食べて、大そう酔っていたそうだ。そしたら、遅れて行った勝連バーマーに、「どうしたんだバーマー、こんな時間に、何時だと思うのか」と言った。すると、「ああ、ちょっと珍しいことがあって、もう、大変失礼になるかと思いましたが、もうあまりにも珍しくて、それを見るのに遅くなってしまいました」と答えたら、「どういうことだ」と聞かれ、「木の羽釜で物を煮て食べているのを見て、あれまあ、珍しいことだと見ているうちに遅れてしまいました」と答えた。そしたら、尋ねた相手が「木の羽釜で物を煮たら、その羽釜は焼けるでしょう」と言ったので、すかさず「さあ、今日の会費は貴方が持つんですね」といって勝連バーマーは会費を免れたという話。