読谷村しまくとぅば「むんがたい」

美女翁長マヂル びじょおながまぢる

話者 松田ミヨ(1901・M34) 地域 喜名 時間 02:39
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 翁長(うなが)マヂルー(はなし)ぇ、いっぺー(ちゅ)らーやたんでぃしぇーやー。うぬ翁長(うなが)マヂルーとぅ北谷(ちゃたん)モーシーとぅぬ(あらそ)いぬ()たんでぃせー。


 あんさくとぅ、北谷(ちゃたん)モーシーや(うとぅ)うっち(ちゅ)らはしぇーや、翁長(うなが)マヂルーや、()が、喜名(ちなー)うてー(ちゅ)らー、いっぺーぬ(ちゅ)らーやしが。何時(いち)何日(いっか)翁長(うなが)マヂルーとぅ勝負(すーぶ)どーんち、北谷(ちゃたん)モーシー駕籠(かぐ)んかい()しらってぃ(ちゃ)んでぃ。


 翁長(うなが)マヂルーどぅしぇー、また、今日(ちゅー)北谷(ちゃたん)モーシー(ちゅ)らーがめんしぇーでぃるむん(うが)みわるないさんち。うぬ(ちゅ)(からじ)ぇいっぺー(なが)はぬよー、うぬ(ちゅ)(からじ)(あら)いねー、此処(くま)ぬウスクんじどぅ()っちゃきてぃ(ふー)しみしぇたんでぃ、(からじ)ぬどぅく(なが)はぬ。



 あんし、自分(どぅー)(あれ)(がみ)ぐゎーし、芭蕉衣(ばさーぢん)かっとぅぐゎー()ち、(とぅ)んじたくとぅ。あぬ北谷(ちゃたん)モーシーや(ぅんー)ぢゅる(ちゅ)(をぅ)らん、翁長(うなが)マヂルーどぅ(んー)ちゃんでぃ全員(むる)(ちゅ)()るっさ。


 どぅく(ちゅ)らはぬ、翁長(うなが)マヂルーや(ちゅ)らはぬ、うりさくとぅ。首里(すい)御殿(うどぅん)からアットーメーや(まー)しみみそーちゃくとぅ、自分(どぅー)本妻(ほんさい)(まー)ちゃくとぅ、くぬ翁長(うなが)マヂルー(とぅじ)するうりんかいなとーてーるふーじ。


 あんし、(とぅじ)し、首里(すい)んかい(ぬぶ)とーみしぇーんでぃどー、うぬ翁長(うなが)マヂルーや。(ぬぶ)とーみしぇーんしが、其処(ぅんま)ぬウミングヮぬ、いぇりんうりんサーダカゥンマリるそーてーはに。(ゐきが)(うや)んかい、「あぬー、お(とう)さん、うぬ(ちゅ)国元(くにむとぅ)んかい、()しみんかい(けー)(くぃ)みそーり」んちゃくとぅ、「()が、何故(ぬー)んちあん()が」んちゃくとぅ、「(いーち)(いん)ちゃはみしぇーん。()んとーる(いーち)(いん)ちゃはみしぇーくとぅ、長命(ながぬち)(うが)みみそーらんぐとぅ、あぬー国元(くにむとぅ)んかい、自分(どぅー)(ぅん)まり(ぐに)んかい(けー)しみてぃ、うりしみそーり」んちゃくとぅ、「えー、あんやんなー(いーち)ぇじょーいやんなー」んちゃくとぅ、「(いーち)(ぅんどぅ)さみしぇーくとぅやー、長命(ながぬち)(ねー)みそーらんぐとぅ、(けー)し」んち。(けー)ち、(いひ)ぐゎーゆーるさくとぅ、んちゃ、(まー)しみそーちゃんでぃ。



 だー、うぬ(ちゅ)(まー)ちゃーにかい、なーうぬ(とぅー)いさーにかい、(わっ)たー喜名(ちなー)一門(いちむん)御墓(うはか)んかい(うく)らっとーさ。ジーファーん(かがぬ)ん、(なま)()いまま。


 うぬ(ちゅ)ぉ、翁長(うなが)マヂルーや(めー)喜名(ちなー)(ゐなぐ)(ぐゎ)(めー)喜名(ちなー)上代元祖(いーでーす)(ゐなぐ)(ぐゎ)やるばー、いっぺー(ちゅ)らはたんでぃ。いっぺー(ちゅ)らはぬ、うぬ(ちゅ)(からじ)()ぃうっちきーたんでぃ。(やー)うてぃ(あら)たーにかいやーウスクドーよ、ウスクんかどぅ()っちゃきてぃ(からじ)ぇちょー(ふー)しみしぇーたんでぃ。あんすかぬ、(からじ)()ちやい、いっぺー(ちゅ)らはんたんりしがよー。


 あんし、(やー)んかい(けー)てぃち(なげー)やもーらんたんでぃどー。すぐ(まー)しさーなか、なー(をぅとぅ)ぐさいん(とぅ)らんなー、(うや)(やー)うてぃうぬままし、(うや)御墓(うはか)んかい()っちょーんしぇーるばーやさ、(なま)ん。まーにんくさらんあれー、うぬまま。

 翁長真鶴は話によると、大変な美人だったそうだね。その翁長真鶴と北谷真牛との美女比べがあったようだ。



 北谷真牛は噂に名高い美人でしょう。翁長真鶴もまた喜名では一番の美人だった。ある日、北谷真牛が翁長真鶴と美女比べをするということで、駕籠(かご)に乗せられて喜名にやって来た。



 翁長真鶴は、今日は北谷真牛という美人がいらっしゃるということだし、お会いしてみようと思っていた。その翁長真鶴の髪はとても長く、髪を洗った後は、このウスクドーのウスク(アコウ)の木にかけて乾かしていたそうだ、髪があまりにも長くてね。


 それで、美女比べの日、翁長真鶴は洗い髪に芭蕉衣をパッと羽織って飛び出していった。そしたら、北谷真牛を見る人はいなく、人々の目は翁長真鶴に向けられたんだって。


 翁長真鶴があまりにも美しかったんだね。その翁長真鶴を、奥方を亡くされた首里の御殿の主人が、妻に招き入れることになったそうなんだ。


 そうして、翁長真鶴は後妻として首里に嫁いで行かれたようだ。しかし、首里の先妻の御子は、たぶん霊力が強かったんでしょうね。その子が父親に、「お父さん、その人を国元へお帰し下さい」と言った。「なぜ、そんなことを言うのか」と父親が聞くと、「その人の息が弱々しく聞こえます。寝ているときの息が弱々しいので、命はそう長くはないと思います。国元へ帰して、自分の生まれ島(出生地)で残りを過ごさせて下さい」と言うのだった。「えっ、そうか、そんなに息は弱々しいか」と聞くと、「息づかいがとても弱々しく、長生きはとうてい無理だと思います。早く国元へ帰して下さい」と言った。それで、翁長真鶴は国元の喜名へ帰して、しばらくしたら、本当にその通り亡くなったそうだ。


 そうして、亡くなられた翁長真鶴は、私たち喜名一門の墓に葬られているんだ。その墓にはジーファー(かんざし)や鏡も、当時のまま残っているよ。


 翁長真鶴は、前喜名の祖先の娘で、とても美人だったって。その人の髪は地面に届くほど長くてね。家で髪を洗うと、ウスクドーのウスクの木に打ちかけて乾かされていたということだ。それほど美しい髪の持ち主で、とても美人であったらしいけどね。



 だけど、家に帰って来てからは、長いこと待たずに亡くなられたので、どの人にも添わずに、実家でそのまま一生を終え、実家の墓に納骨されているわけだよ、そのまま。

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解説

昔、喜名村に翁長マジルーという後世に名を残す美女が住んでいた。背丈を越す長い黒髪は評判で、彼女が髪を洗ってウスクの下枝にかけて乾かしている姿は気高く美しかったそうだ。ウスクドーは現在、住宅密集地の中に位置しているが、かつては原野地帯に墓地が並ぶ寂しくて怖い場所であった。(「喜名ガイドマップ」喜名の名所・旧跡、ウスクドー)

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