井戸ぁ掘たるむのーあらんやー、うぬ水肥る担みとーしが。
あんさーに、うぬ水肥一担み持っち行いねー、今度ぉまた、一担めー其処んかい水入っとーるばー。臭ぬ中ぬんかい水入ったぐとぅ、なーまたちゃー同ぬっさ。又ん担みてぃ行いねー、又ん一担めー入ってぃ。やぐとぅ、なー十担み持っちーねー、其処んか十担み入っちょーるばー、水ぬ。
なー、あり分かとーてぃ、「其処ぁ湧くぬ在るむんなー、担みてぃん減ならん」、うりやるばー。水肥ぬる一戻し持っち行いるかーじ、自分ぬんな水、其処入りやーに、又ん多くなたしぇー、なー担みてぃん減ならん。なー見らん間る入りーぐとぅ、てー。「ぃやー入ってーさやー」んち、喧嘩いんならんしぇーや。
あんぐとぅ、担みーるかーじ湧ちゃぐとぅ、なー終わいげー間ねー二十担みが持っちゃらー、十担みが持っちゃらー分からんしが。うりんよ、なー担みらさんれーならんしぇー、大変しーら入りらんれーならんしぇー。
井戸を掘った話じゃないよ、継子に肥溜めから水肥を担がせた話なんだがね。
それは、継子が水肥を一回担いで持って行くと、今度は継母が、担いで行った分の水を肥溜めに入れたようだ。担いだ分の水を入れるので、水肥はずっと同じで減ることはない。担いで行くたびに、その分の水を入れるんだからね。十回担いで持って行くと、十回分の水を入れるということさ。
継子はそれに気づいて、「そこには水が湧いているのかな、いくら運んでも減らない」と思うが、どうしようもないさ。継子が水肥を担いで行くたびに、継母がそこに水を入れるから、どんなに担いでも減ることはない。継子が見てないときに入れるんだから、「入れたでしょう」と、反抗もできないでしょう。
だって、担いで行くたびに水を入れるので、もう終わるまでには十回担いだのか、二十回担いだのか分からない。それもね、継母が継子を懲らしめるために、担がせたということさ。