あぬ、私たーシマんかい、ジュリグヮー岩でぃち在しが、うぬジュリグヮー岩やカガンジ原んかい在るばー。
あんし、昔ぇあぬーウグヮンぬ後んかい按司墓ぬ在しが、うぬ按司墓んかい按司ぬ隠てぃめーぬ頃やてーぎさるむのー。なー其処んかい隠とーんでぃち敵ぇ分かたぐとぅ、なージュリぬ家とーてぃ、「明日ぁ私たー其処んかいや、攻みてぃ行ちゅんでー」でぃぬ話ぃしぇーぎさぬむのー。うぬジュリぇ、なー此処ぬ方んやてーるふーじ。
なー、あんいち話や聞ちゃぐとぅ、すぐ馬がきからかきてぃ、此処んかい知らしが来んでぃしぇーぎさん。来んでぃさぐとぅ、また其処ぁあぬだー、あぬ番手ぬが立っちょーたらー、追かきらってぃが来らー分からんしが、其処ってぃ殺さったんでぃぬ話。
あんし、殺さってぃさぐとぅ、なーうんにーから其処ぁまた霊強はぬ、昼やてぃん歩からんあたい、三線クヮンないし。あぬ儀間ぬヨシよー、私たーウジャサー、また蒲上地小ぬお婆、あったー三人めーにん、十五夜ぬ真昼るやしが、うすまさクヮンない、クヮンない、なーうりすたんでぃ。昔んでーやれー、またむる歩からんたんでぃよー、其処から。
あんしすたんでぃしが、また其処ぁ、役所から、上からんめんしぇーがすたらー分からんしが。役所しんかぬ、サクドゥ馬でぃち、馬乗てぃよー、多くぬ人達ぬ其処んかい拝みがめーたんでぃ。
あんし、また其処拝りから宮城よ、私たーシマぬ宮城んじまたしちふぁー、茶水みそーち行んしぇーたんでぃしが。うぬジュリぇなー何んでぃぬジュリがやたらー、うれーなーむる分からん。あんしがなー、霊やうすまさうりやたんでぃぬ話やるばーて。
私たちの字、瀬名波にジュリグヮー岩というのがあるけどね、それは鏡地原にあるよ。
ウガンの後方に按司墓があって、昔、そこに按司が隠れていたらしいんだ。けれども、敵は按司がそこに隠れていることを知り、ジュリの家で、「明日、私たちは按司墓を攻めに行く」と話していたそうだ。それを聞いたジュリは隠れている按司の味方であったようだね。
もう、その話を聞いたジュリは、すぐ馬に乗って、按司に知らせに行こうとしたようだ。だが、そこには門番が立っていたのか、後追いされたのか分からないが、岩近くで殺されたという話。その岩がジュリグヮー岩と呼ばれているんだよ。
そんなことがあって、それからその辺りは怨念がこもり、人影もないのに三線が鳴り響き、昼でも歩けないほど恐い所だった。儀間のヨシと私の伯父さん、蒲上地小のお婆さんの三人がそこを通った時も、八月十五日の真昼にもかかわらず、ものすごく三線が鳴り響いていたそうだ。昔は、そこから通れないほど恐い所だったというわけさ。
そんなことがあったというが、そこには役所(王府)から遣われた人が、サクドゥ馬という白馬に乗って来て、役人など大勢の人も拝みにいらっしゃったんだって。
そうして、そこを拝んだ後は瀬名波の宮城で、拝みを済ませたとの報告をし、お茶を召し上がってから帰って行かれたそうだ。殺されたジュリが何という名前であったのか、それはもう全く分からないが、たいそう霊力が高かったという話なんだよ。