読谷村しまくとぅば「むんがたい」

ジュリグヮー岩 じゅりぐゎーしー

話者 神谷カマド(1902・M35) 地域 瀬名波 時間 01:44
  • しまくとぅば
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 あぬ、(わっ)たーシマんかい、ジュリグヮー(しー)でぃち()しが、うぬジュリグヮー(しー)やカガンジ(ばる)んかい()るばー。


 あんし、(ぅんかし)ぇあぬーウグヮンぬ(くし)んかい按司(あじ)(ばか)()しが、うぬ按司(あじ)(ばか)んかい按司(あじ)(かく)てぃめーぬ(ぐる)やてーぎさるむのー。なー其処(ぅんま)んかい(かく)とーんでぃち(てぃち)()かたぐとぅ、なージュリぬ(やー)とーてぃ、「明日(あちゃ)(わっ)たー其処(ぅんま)んかいや、()みてぃ()ちゅんでー」でぃぬ(はなし)ぃしぇーぎさぬむのー。うぬジュリぇ、なー此処(くま)(かた)んやてーるふーじ。


 なー、あんいち(はなしー)()ちゃぐとぅ、すぐ(ぅんま)がきからかきてぃ、此処(くま)んかい()らしが(ちゅー)んでぃしぇーぎさん。(ちゅー)んでぃさぐとぅ、また其処(ぅんま)ぁあぬだー、あぬ番手(ばんてぃ)ぬが()っちょーたらー、(いー)かきらってぃが(ちゃ)らー()からんしが、其処(ぅんま)ってぃ(くる)さったんでぃぬ(はなしー)


 あんし、(くる)さってぃさぐとぅ、なーうんにーから其処(ぅんま)ぁまた霊強(しーぢゅー)はぬ、(ひる)やてぃん(あっ)からんあたい、三線(せんしん)クヮンないし。あぬ儀間(じーま)ぬヨシよー、(わっ)たーウジャサー、また蒲上地小(かまいーちぐゎー)ぬお(ばあ)、あったー三人(みっちゃい)めーにん、十五夜(じゅーぐやー)真昼(まひる)るやしが、うすまさクヮンない、クヮンない、なーうりすたんでぃ。(ぅんかし)んでーやれー、またむる(あっ)からんたんでぃよー、其処(ぅんま)から。



 あんしすたんでぃしが、また其処(ぅんま)ぁ、役所(やくしょ)から、(いー)からんめんしぇーがすたらー()からんしが。役所(やくしょ)しんかぬ、サクドゥ(ぅんま)でぃち、(ぅんま)()てぃよー、(うほー)くぬ人達(しんか)其処(ぅんま)んかい(うが)みがめーたんでぃ。


 あんし、また其処(ぅんま)(うが)りから宮城(なーぐすく)よ、(わっ)たーシマぬ宮城(なーぐすく)んじまたしちふぁー、茶水(ちゃーみじ)みそーち()んしぇーたんでぃしが。うぬジュリぇなー(ぬー)んでぃぬジュリがやたらー、うれーなーむる()からん。あんしがなー、(しー)やうすまさうりやたんでぃぬ(はなしー)やるばーて。

 私たちの字、瀬名波にジュリグヮー岩というのがあるけどね、それは鏡地原(かがんじばる)にあるよ。


 ウガンの後方に按司墓があって、昔、そこに按司が隠れていたらしいんだ。けれども、敵は按司がそこに隠れていることを知り、ジュリの家で、「明日、私たちは按司墓を攻めに行く」と話していたそうだ。それを聞いたジュリは隠れている按司の味方であったようだね。


 もう、その話を聞いたジュリは、すぐ馬に乗って、按司に知らせに行こうとしたようだ。だが、そこには門番が立っていたのか、後追いされたのか分からないが、岩近くで殺されたという話。その岩がジュリグヮー岩と呼ばれているんだよ。


 そんなことがあって、それからその辺りは怨念がこもり、人影もないのに三線が鳴り響き、昼でも歩けないほど恐い所だった。儀間のヨシと私の伯父さん、蒲上地小のお婆さんの三人がそこを通った時も、八月十五日の真昼にもかかわらず、ものすごく三線が鳴り響いていたそうだ。昔は、そこから通れないほど恐い所だったというわけさ。


 そんなことがあったというが、そこには役所(王府)から遣われた人が、サクドゥ馬という白馬に乗って来て、役人など大勢の人も拝みにいらっしゃったんだって。



 そうして、そこを拝んだ後は瀬名波の宮城で、拝みを済ませたとの報告をし、お茶を召し上がってから帰って行かれたそうだ。殺されたジュリが何という名前であったのか、それはもう全く分からないが、たいそう霊力が高かったという話なんだよ。

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解説

瀬名波に伝わる伝説の地。昔、カクリグシクに隠れている按司を討ち取るため追っ手が瀬名波にきた。それを事前に知ったジュリ(遊女、娼妓(しょうぎ)のこと)が隠れている按司に知らせようとしたが、追っ手にこの場所で殺されてしまった。それからというもの、そこは霊力高く、昼でも三線の音が聞こえることがあり、恐ろしい場所になったという。(「瀬名波ガイドマップ」瀬名波の名所・旧跡、ジュリグヮーシー)

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