読谷村しまくとぅば「むんがたい」

儀間のゥンブガー ぎまのぅんぶがー

話者 仲宗根徳真(1905・M38) 地域 儀間 時間 00:35
  • しまくとぅば
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 部落(ぶらく)(ちゅく)ってぃ(はじ)まいや、うぬカーから(はじ)またんでぃちゃぬちむ。


 それで、うぬカー(はじ)またぐとぅ、うれーゥンブガー()きたるばー、カーぬ(はじ)まいてー。まじ、()えば、この部落(ぶらく)では儀間(ぎま)のその(ゆー)(はじ)まいですね。


 あんとぅ、うぬカーから(はじ)まてぃ、あんさ、うぬカーや一番(いちばん)なたぐとぅ、(ぅん)まりーぬうっさーむる其処(ぅんま)(みじ)()どーんちゃん。あんさーまかに、うぬ(みじ)(なま)ちきてぃ(うが)どーるばーてー。(みじ)(おん)(おが)んでいるわけですよ。


 あんとぅ、うりから次第(しだい)()(なか)(ひら)きてぃいちゅしんでー、(ちゅ)(うほ)くないしんでー、あぬだーカーや其処(ぅんま)んかいん出来(でぃき)此処(くま)んかいん出来(でぃき)し、さしが。

 儀間の始まりは、その井泉から始まったということだよ。


 それは初めて出来た井泉ということで、ゥンブガー(産井泉(ぅんぶがー))とつけたわけだ。まあ、言えば、これが儀間部落の始まりですね。


 だから、その井泉が最初に出来たので、この儀間で生まれた人は全員そこの水を飲んで育ったということ。それで、水への感謝を表わす意味で産井泉を拝んでいるわけですよ。


 それから、次第に世の中が発展していくにつれて、人も多くなり、あちらこちらの家で掘り抜き井戸が作られたんだ。

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解説

産井(ウブガー)でもあり、産湯、新生児の水撫で(ミジナリー)としても利用された。また正月元旦には暗いうちから若水汲みで賑わった。渡慶次と共同で利用された。現在はフェンスがあり、自由に立ち入りできない。(「儀間ガイドマップ」儀間のカー、ウフカー)

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