読谷村しまくとぅば「むんがたい」

宇座イェーキ うざいぇーき

話者 山内昌繁(1902・M35) 地域 宇座 時間 00:45
  • しまくとぅば
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 唐旅(とうたび)さぐとぅよー、あぬー那覇港(なーはんなとぅ)んかい()ちーねー、彼処(あま)からぬ(もー)きぬ()るさらんでぃちよ。宇座(うーじゃ)其処(ぅんま)んい(ちゃー)まかっに、うぬ(とう)からぬ宝物(たからむの)其処(ぅんま)とーてぃ()るちゃぐとぅ、宇座(うざ)イェーキんち()ちょーんでぃぬ(つた)えがあった。


 あんさーまかに、うぬ人達(しんかー)よー、(なま)宇座(うーじゃ)んかいや(をぅ)らん、もーらんしがてー子孫(しその)ぉ。宇座(うざ)イェーキぬ(はか)んち(なま)()んどー、宇座(うーじゃ)んかいや。あんやしが、子孫(しその)知花(ちばな)でぃぬ(とぅくま)んかい()んでぃ。

 ある人が唐旅をして、唐から品物を持って来たが、那覇では下ろすことが出来なかった。それで、宇座にやって来て、そこで唐からの品物を下ろして富を得たことから、その人は宇座イェーキと付けられたという伝えがある。


 宇座イェーキの子孫は、今は宇座には住んでいないが、墓はまだ残っている。子孫は知花(沖縄市)という所にいるらしい。

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解説

宇座で一番のイェーキンチュ(お金持ち)であったために付けられた名。「宇座イノーヌウスヤヒナティン宇座イェーキノヒナラン」(宇座のイノーの潮は減っても、宇座イェーキのお金は減らない)と言われるほどであった。(「宇座ガイドマップ」宇座の発祥、宇座イェーキ)

 ※宇座グシク中腹に宇座イェーキの墓があると言われている(『残波の里「宇座誌」』1974年、宇座区公民館発行、p24-27参照)。

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