唐旅さぐとぅよー、あぬー那覇港んかい着ちーねー、彼処からぬ儲きぬ下るさらんでぃちよ。宇座ぬ其処んい来まかっに、うぬ唐からぬ宝物ぉ其処とーてぃ下るちゃぐとぅ、宇座イェーキんち付ちょーんでぃぬ伝えがあった。
あんさーまかに、うぬ人達よー、今ぁ宇座んかいや居らん、もーらんしがてー子孫ぉ。宇座イェーキぬ墓んち今ん在んどー、宇座んかいや。あんやしが、子孫ぉ知花でぃぬ所んかい在んでぃ。
唐旅さぐとぅよー、あぬー那覇港んかい着ちーねー、彼処からぬ儲きぬ下るさらんでぃちよ。宇座ぬ其処んい来まかっに、うぬ唐からぬ宝物ぉ其処とーてぃ下るちゃぐとぅ、宇座イェーキんち付ちょーんでぃぬ伝えがあった。
あんさーまかに、うぬ人達よー、今ぁ宇座んかいや居らん、もーらんしがてー子孫ぉ。宇座イェーキぬ墓んち今ん在んどー、宇座んかいや。あんやしが、子孫ぉ知花でぃぬ所んかい在んでぃ。
ある人が唐旅をして、唐から品物を持って来たが、那覇では下ろすことが出来なかった。それで、宇座にやって来て、そこで唐からの品物を下ろして富を得たことから、その人は宇座イェーキと付けられたという伝えがある。
宇座イェーキの子孫は、今は宇座には住んでいないが、墓はまだ残っている。子孫は知花(沖縄市)という所にいるらしい。
宇座で一番のイェーキンチュ(お金持ち)であったために付けられた名。「宇座イノーヌウスヤヒナティン宇座イェーキノヒナラン」(宇座のイノーの潮は減っても、宇座イェーキのお金は減らない)と言われるほどであった。(「宇座ガイドマップ」宇座の発祥、宇座イェーキ)
※宇座グシク中腹に宇座イェーキの墓があると言われている(『残波の里「宇座誌」』1974年、宇座区公民館発行、p24-27参照)。