座喜味城ややーさい、山田から座喜味城や造りわるないるでぃち、彼処っち城ぉ造りわるないるりち造たぐとぅやー。その時の王様ぁ、くぬ私たー波平ぬ乗り場ぐゎーぬ、其処にかいイトゥカグシクでぃち在んよー。
その時の王様ぁ各所から、かんし徴用や呼でぃ、城ぉ落成なたしが、食まする物ぬ無らん。くぬ配給し食ますしが無らん、うるっさ死にあらしーやたんでぃ。なー食みわる生ちかりーさやー。
チブガマーから瀬名波ガーんかい、むるチビチリんかい、人ぬ骨ぇよー、うにーにんぬ徴用臣下やたんでぃ。あいぐる、くぬチビチリんでーやたんてーん、俎板ぐゎーん有たい、包丁ぐゎーん有たんでぃる話。うぬ時ぬくぬ徴用臣下ぬなー帰ゆーさん、死じょーしん達が、くぬ長浜原ぬ岩ぬ下ん、むる人ぬ骨るやさやー。
座喜味城ぉ落成なとーしが、護佐丸ぉ其処んかい住みいそーらん。あれー是非、中城んかい勤みしみりわるないるでぃぬ、護佐丸ぉ中城んかいめんそーちゃぐとぅ。座喜味城や座喜味大主でぃしんかい授きやーい、護佐丸ぉ中城んかいめんそーちゃんでぃぬ話。
さぐとぅ、座喜味ぬ東上地ぇ粟俵ふとぅちんそーやーい、うぬ城ぬ広場やん所んかい、むる粟ぁ播ち放てぃ。うぬ粟ぬ出来たぐとぅ、生ちちょーるうっさー、うぬ粟飯さーに命ぇ生ちち。
生ちちょーるうっさんかい配給し食ましんそーやーい。あんさーい、「ウートートゥ、東上地ぬ金持ぇ世代うんぐとぅーらしんそーり」でぃち。今ちきてぃ東上地ぇ金持ん人やんどー、座喜味ぬ東上地よ。
座喜味城はですね、山田にいた城主が座喜味に移るために築城したそうだがね。築城の間、波平のバス停近くに仮住まいしていたということで、そこは一時の城という意味のイットゥカグシクと呼ばれているよ。
築城の際には、各地から人夫を徴用して城は完成させたが、食糧がなかった。人夫たちに配給する食べ物がなく、多くの人が次々と死んでいったそうだ。もう食べないと生きていけないでしょう。
チブガマから瀬名波ガー一帯や、チビチリにある人骨はね、その当時の徴用された人夫たちだそうだ。ほらその、チビチリには、まな板や包丁が残っていたという話だよ。その時に徴用された人たちが国元へ帰ることができずに死んで、長浜原の岩下はその人骨でいっぱいだった。
座喜味城は完成したが、護佐丸はそこにはお住みにならなかった。護佐丸には是非中城を守ってもらいたいということで、中城へ移って行かれたそうだ。それで、座喜味城は座喜味大主という方に譲ったという話である。
座喜味城が座喜味大主に譲られてから、東上地が粟俵を解いて、座喜味城の広場に残らず播いた。その粟が実ったので、生き残っていた人たちは、その粟飯で命拾いをしたようだ。
残っている皆に、粟飯を配給してあげてね。それで、人々は「ウートートゥ、東上地の富がいつまでも続きますように」と感謝したそうだ。今でも東上地は金持ちだよ、座喜味の東上地よ。