久米島ぬヌールぬサングヮナーし、船乗してぃ流さってーるぐとーびんよー。
あんさくとぅ、仲門親方ぬ釣りしーがめんそーちょーしあたてぃ。彼処んかい前寺でぃちえびんよー、うぬ人ぉ、船から久米島ヌールぉ引ち上ぎてぃ縁結でぃ。
うぬミンティラりち彼処んかい、大概三百坪びかーじ私たーが二才ぐゎーそーいねー、今ぬバラ飛行場ぬ中てーさい。あんさーい、其処んかい松林ぬ、モーぬ在いびん。其処んかい添てぃめんそーやーい、とにかく縁ぉ結りんしぇーるちむやびんてー。
あんされー、久米島ぬ国ぬフダミかかたぐとぅ、是非あぬヌールぉうんちけーさんねー、村ぬ良いくとーさんでぃぬふーじーなたぐとぅ。あんされー、彼処から来ぐとぅよーさい、馬艦ぬみー銭持ち来るんさー添らすさでぃくとぅ。いんねーすんねー、久米島から馬艦ぬみー銭ぉ持ち来るふーじやびんてー。あんさぐとぅ、添らっち遣らちゃぐとぅ。
彼処から御通しする火ぬ神や、うぬふーじーし香炉作やーい其処んかい。御香ぉ立てぃたい何さいするありが、各御願所、御願所に在いびしぇーやー。うり三ち今、三ち在いやさびんよー。やぐとぅ、うりから御通し、久米島んかいぬ御通し。
私たーん小さる間、小さ愛さし、風邪ぐゎー引ちょーいにん、彼処んじウートートゥ、「何相ぬ童ぬちゃーさびーぐとぅ・・」でぃち、うぬうさぎり、うり精神ぬうりやんてーさい。うぬ久米島ヌールやれーうれー治しゆんすんなー、でぃぬ。
クシディラ、ミンティラでぃち、クシディラー村ぬ後、今ぁアカムヤー書物たー行かんまーるぬ此処にかい、だてーんぬグーフーぬ在いびさ。何ぅ其処ぁ、其処ぁ何ん・・。
久米島のノロが浮気をしたので、船に乗せられて流されたようだね。
そうしたら、仲門親方が釣りに行ったところに、流れ着いた。そこは前寺と呼んでいるところね。仲門親方は久米島のノロを船から降ろして、二人はそこで縁を結んだ。
そのミンティラ(前ヌ寺)は約三百坪ほどで、今のボーローポイント飛行場内にあった。私らの青年時代、そこには松林や野原もあった。そうして、仲門親方はそこに久米島ノロを連れて来て縁を結んだそうだ。
そしたら、久米島で、ノロを追い出したことは、村のためにならないので、是非そのノロを連れ戻さなければいけないということになったようだ。そうして、久米島から迎えに来たらね、馬艦船一杯のお金を持って来るのであれば、帰してもいいということだった。すると、さっそく馬艦船一杯のお金を持って来たので、ノロは久米島へ帰したそうだ。
その後、久米島へ遥拝する火ヌ神をミンティラに作った。線香を立て願い事をする香炉が各拝所にあるでしょう。それが三か所、今でも三か所ありますよ。そこから久米島へ祈願をした。
私らが小さい頃は大切にされて、風邪をひいたときでもミンティラに、「〇〇相の子どもが〇〇ですので・・ウートートゥ」と願っていた。気持ち的にも落ち着いて、久米島ノロであればそれを治してくれるだろうと思ったんでしょうね。
クシディラ、ミンティラとあるが、クシディラは村の後方のアカムヤーにある易者の家近く、小高いところにあるよ。そこの話は知らないなあ。