あー、昔ぇ楚辺ぬ部落ぉよ、飲料水ぬ少らさぬ、水ねー非常に困とーたんでぃ。ウフカーんちん在い、ソーガーんちん在しが、うぬ二箇所から水ぇ使とーてーるぐとーしが。うっさしん足らん。後んしイーガーでぃしん在んよ、うぬイーガーるぬ、イーガーぬ上なかに大きな溜池掘やーに、あんしうぬ、雨ぬ降いになかい水貯えてぃ置ちょーてぃ、うぬイーガーんかい濾過し水ぇ飲り、なー補みとーたんでぃ。
あんさくとぅ、な、水ぬ悪さる原因がやら、本当の泉るんしぇあらんくとぅ。楚辺ぬ人ぉむる目ぬ悪さぬよー、男ん女ん、目ぬ赤り、楚辺ミーハガーんち評判やたんでぃよ、楚辺ミーハガーんち。
ところが、屋嘉んどぅる、屋号屋嘉んどぅる家なかに、二十歳頃ぬ一人女子ぬ居たんでぃよ。くぬ女子ぁ、同し水飲り水使てぃん、なー目ん悪しこーねーらん非常に美人やたんでぃ、くぬ女子ぁ。
あんさくとぅ、くぬ娘ぬ、屋嘉美人んち評判者やたんでぃ。くぬ女ぉなーるく美人なたくとぅ、部落ぬ青年ん、他村、他字ぬ青年ん、なー縁談ぬ話しぇーわやー思てぃ、夜、昼ひっきりなしに青年ぬ達が来てーるぐとーん。
あんさくとぅ、くぬ娘ぇなー、「あ、かんしぇー仕事んならんなとーるむん」んち、用心棒とぅしよ、犬養たんでぃよ、犬。犬ぉ知らん人ぬ来ねー、ワンワン吠びやーさーなかいすぐとぅ。あんさくとぅ、なーうぬ屋嘉ぬ娘ぇ、な、犬ぬ鳴ちーねー、「また誰ん来さやー」んち、あんさーに裏門から逃ぎやーに、あんし誰とぅん会わんくとぅ。あぬだー、うりが飼なたる犬ぉ、屋嘉ぬ赤犬んちまた名前ぇ付ちょーたん。
あんさーに、ある日、うぬ犬ぬ雨ん降らんしが、いっぺー濡りてぃ来っよ、濡りてぃしっ。あん家んかい帰てぃ来っ、うぬ玄関をぅてぃワンワン犬ぬ吠びやーさくとぅ。うぬ養とーる屋嘉ぬ娘ぇ出じてぃ見ちゃくとぅ、なー濡りてぃし、しちょーしが。あんしが、うぬ犬ぉ尻尾んいっぺー振やー振やーしっ、いっぺーなー嬉さそーるぎさーしよ。しちゃくとぅ、何ぬ訳がやーんち、あんし立っち見じゅるうちねーうぬ犬ぉ、「なー水ぬ有ん所 私が見ちょーくとぅ、なーりか見しら」んどぅるちむえーさーに、うぬ屋嘉ぬ娘ぬ着物ぬ裾咥やーなかに、うぬクラガーんどぅる所んかい添てぃ行じ。
あんし、クラガーぬ前ぇ行ちーねー、直ぐ中んかいうぬ犬ぉ行ちゃーなかに、あんし水ぬ前んじまたワンワンいっぺー吠びやーしちゃくとぅよ。うぬ屋嘉ぬ娘ぇようやく明りぬ有ん所までー行じ、うりから先ぇ暗さくとぅ、其処ん立っちょーてーるぐとーん。立っちゃくとぅ、立っちょーるうちなかい、うぬ犬ぬ水ぬ中んかい飛びんかーにバタバタ泳じさくとぅ、「あー、此処んかいうっさ水ぬ有んちやさやー」んち考てぃ。
あんさーにあぬだー、早速くぬ屋嘉ぬ娘ぇ家んかい帰てぃ、うぬ事字ぬ当役んかい話さくとぅ。あんさとぅ、字ぬ当役んあんしぇーなー早速調査しんじゅんち、調査ひちゃくとぅ、なー水ぬいっぺーまんでぃよ。あん、うりから字総出 行ぢさーに、清掃しち、あんさーに何不自由ねーんぐとぅ、今日までー水が豊かに飲だんでぃ。楚辺クラガーんでぃしぇーうり。
屋嘉ぬ娘があんまりなー美人やくとぅ、うり大変なー忍でぃんれーやーりる男ぬ居たしが、あん昼ん夜ん犬ぬなー居ぎてぃ入やならん。後ぉうぬ男ぁ、なーくぬ屋嘉ぬ娘がクラガーんかい水汲みーが行ちねー、自分ん水汲みんが行ぢ、あんしクラガーぬ内をぅてぃ縁談ぬ話すんち考てぃ、あい行ぢ。さくとぅ、なーあんまり思わしくんいかんがあたらー、悪戯すんでぃひちぇーるふーじやるぐとーん、くぬ男ぬ。
あんさぐとぅ、くぬ女ん、なー慌てぃやーに、あんしうりが後から、水汲みーが来るまた女ぬ居たんでぃよ。うりが来んてーれーなー大事な事んかい生じーてーるふーじやしが。うりが来くとぅ、幸いに難ぉ逃りてぃ。「あーとー、其処んかい入っちぇーならん、異風な男ぬ居んどー」んでぃ言ち。あんさーに、外んかいうぬ女二人や出じてぃ待っち、其処かい出じてぃ来ねー如何ねーる男やらー見ちんじゅんち、待っちょーてーるぐとーん。
あーんさくとぅ、なー道ぇ一ちるあくとぅ、是非出じらねーならんしぇー、うぬ男ぁ。出じてぃ来くとぅ、なー平生からチラー、屋嘉ぬ娘んかいなー注目そーる男やてーんてー。あんさぐとぅ、「あー、ぃやーるやてぃなー、ぃやーやあんねーる男るやんなー」んでぃ言ち、なーうりから恥かちゃんでぃよ、うぬ男ぁ。
なー、あんさくとぅ、あい、うぬ事字ぬ当役ぬ聞かーなかに、とー今からあんしぇー字内法作てぃ。女ぬ井泉んかい水汲みーが行ちねー、直ぐ井泉ぬ入口なかに左側なかい丸い石ぬ在くとぅ、あい女ぉ頭んかい荷ぃ負しーねー、あぬガンシナんち有しぇーや。あぬガンシナうぬ石ぬ上んかい置ち、あんし中んかいや桶ばかーん持っち行ぢ、水ぇ此処がえーまー持っち来っ、あんし其処からかみてぃ帰いるぐとぅ。
あんし、男ぬ水汲みーが来ねー、其処んかいガンシナぬ有る間ぁ内んかい入っちぇーならん。また男ぁ、汲みんが来ねー桶担みーる棒有しぇーや。うぬ棒やうぬ石んかい立てぃてぃ置ちょーてぃ、あんし桶ばかーん持っち行ぢ、此処までー引提ぎてぃ来っ、其処から担みてぃ家んかい帰いるぐとぅ。あい、女んまた、其処んかい棒ぬ立っちょーる間ぁ内んかい入っちぇーならんち、字ぬ規則作やーなかに、あんしあぬだー飲だんでぃぬ話やしが。
あんさーなかに、なーうぬ男ぁなー恥かちぇーくとぅ、今度なーまたうぬ女恥かかすんち、うぬ男ぬ。「くぬ屋嘉ぬ娘ぇ犬ぬ子懐妊とーんどー」んち、彼方此方んじあびやーさくとぅ。なー、くぬ娘ん、な、うんにねー既に妊娠しちぇーをぅたんりっさー、ゐー。
なーうれー、ぬーあんさくとぅなー犬ぬ子てぃらむん 懐妊とーんどーんち、私にんかいかんしなー恥かかすくとぅ、くぬ女ぉなー夜逃げさーなかに津堅島んかい行ぢよ。その赤犬子んどぅる人ぉ津堅島をぅてぃ生まりてぃ、また元ぬ故郷んかい帰てぃ来っ、あんし其処をぅてぃくぬ赤犬子ぉ育てぃてぃ。
あん、大人になたくとぅ、くりが中国んかい勉強しんが行ぢ、くぬ赤犬子でぃ。あんし、彼処から戻やーや、麦、豆、粟、黍、唐黍、うりから野菜ぬ野蒜んち、うっさ、お土産持っち来っ。あんし、全員んかい普及っし。あんし、穀類ぬ恩人んち、字民ぉ考てぃ。
さーに、旧ぬ九月ぬ二十日ぁ毎年、赤犬子祭やんよ。うぬ場なかにお供え物ぉ、うぬ五穀ぬうれーチャンポンし混ぜ飯炊ち、其処かいお供えし、今までぃんなー盛んにやっている、うん、毎年あんしうりっし。
あんさーなかに、なー帰てぃめんしぇーいに昔ぇ道ん悪さるあくとぅ。那覇からん歩っちる来くとぅ、疲りてぃがめんしぇーたらー、嘉手納ぬ村内うてー転りよー。転ばーなかに、残いぬ品物ぉ放りらんしが、野蒜ばかーじぇ放りたんでぃ、其処んかい。あい、うりんなー置ちゃん投ぎてぃ、ある分家んかい持っち来っ。其処んかい放りとーしぇー取らんたしが、「はー、此処ねー野蒜ぉ生んなよー」んでぃ言ちゃくとぅ、嘉手納字ねー野蒜一切生らんどぅぬ話。
あんし、うりから三線、クバぬ骨さーに三線作てぃ、あんし弦ぉ馬ぬ尻尾ぬ毛さーに作てぃ三線ぬ音出じゃち。あんし、国々、沖縄中、東海岸から西海岸んかい廻てぃ来っ、歌三線ぬ普及んかい励みそーち。
あんし、中城安谷屋ぬ村んかい差し掛かいる場なかに、水欲くなてぃ、あん、水ぬ有ん所見ちょーしが、水ぇ見ちからん。あん、ある青年が畑から大変美味さぎさる大根よ、担みてぃ来しが居たくとぅ、うりんかい頼でぃ、うぬ青年んかい、「うぬ大根一ち分きてぃ呉らんなー。なー水欲さぬうりやしが」んちゃくとぅ、「いいですよ」んち。あんし、うぬ青年んなー道んかい道具ぉ下るち、あんし、鎌さーに皮や剥ち、あんし中味ばかー四ちんかい分きてぃ。自分ぬ手ぬひらんかい置ちきてぃ、うぬ犬子ぬ前んかい、「今やれーなー食み易さいびーさ」んちゃくとぅ。
「ああ、また親切な青年だなあ」んち、赤犬子ん感じみそーやーに。あい、うぬ青年んかい、「青年、名前ぇ何んりが」んちゃくとぅ、姓や言やんよーい、ただ「マツ」んり言ちゃんち。あんさーに、うぬ青年ぉ家かい帰てぃ行ぢゃくとぅ、「ああ、世の中にこんな親切な青年もいるんだなあ」んち思てぃ。あんさーに、し「この青年は将来、役に立つ人間になるだろうなあ」んち、言ぬんしぇー。あんさーに、こごと言ながちー、また旅続きてぃ。
西海岸んかい来やーなかに、瀬良垣ぬ浜をぅてぃよ、山原船拵やーに進水式ぬ日やたんでぃよ。あん、うぬ場ねーまた連れ子ん添とーしが、うぬ連れ子ぬ水欲さんち、あん船大工んかい、「なー連れ子ぬいっぺー水欲さそーくとぅや、水分きてぃ呉らんなー」んちゃくとぅ。
うぬ船大工ぉ「なに!」でぃち、なー三線ん見(んー)ちんだんしぇーや。あん、うりん担み担みどぅ、し、でーくとぅ。「乞食みたいにうりし、いったーんかい分きてぃ呉る水ぇ無ん」でぃ言ちゃくとぅ、「ああ、そうかあんし仕方ない」、歩ちゃがちーうぬ犬子様ぁ「瀬良垣水船だなあ」んでぃ言んそーやーに、また歩ち。
また、うりから、谷茶ぬ端んかい来くとぅ、其処をぅてぃんまた、山原船接じうりしち。あん其処んかいうり頼だくとぅ、其処ぬまた船大工、「ああいいですよ。沢山いただきなさい」んでぃ言ち、あんしちゃくとぅ、「ああ助かった」んち。あんさーに、「ああ、谷茶速船だなあ」でぃ言んそーち。
あんし、家んかい又こごと言がちー歩ち来くとぅ。うぬ人が言んしぇーんねー瀬良垣ぬ船ぇよ、むる旅ぬかーじ水難んはっちゃかてぃよ、むる水船なてぃ。あんしが谷茶ぬ船ぇ谷茶速んち、ちゃーるうりっしからん水難んかい遭わん、いっぺー良い旅でぃち。
あんさくとぅ、瀬良垣ぬ船大工ぬ憎り、「谷茶ぬ船んかい良い名ぁ付きてぃ、私たー船んかい悪な名ぁ付きてーくとぅ、うれー殺しわるやる」んち。
あんさーなかに、殺する間際なたくとぅ、うり犬子様ぁ聞きんそーやーに、「なんじゅ悪い事んさんしが、私殺すんちすんなー。あん、人に殺さりーしやかねー、自分し始末すしぇーまし」んでぃち。
あんさーに、今ぬお宮ぬ上んかいめんそーち、あんし、杖ん突ちめんしぇーたんでぃよ。杖んかい、「赤木アカヌクぬ ハベルなてぃ飛びわ いちゃし訪にやい 行方聞ちゅが」でぃ言ち、歌書ち、うぬ杖んかい置ちょーてぃ、あん、うぬ杖の上から、何処んかいがめんそーちゃらー行方なしやたんでぃ。
昔、楚辺の部落は飲料水が少なくて、水にはとても困っていたそうだ。ウフカー、ソーガーというのがあって、その二か所からも水を使っていたが、それだけではとても足りなかった。後には、イーガーの上に大きな溜池を掘って、雨水を貯え濾過して飲み水を補っていたそうだ。
そういうわけで、井泉からの直接の水ではなかったから、水の悪いのが原因だったのか、楚辺の人はみんな目が悪くてね。男も女も目が充血して、楚辺ミーハガーと評判だったそうだよ。
ところが、屋嘉の一人娘だけは同じ水を飲んだり使ったりしても、目も悪くならずとても美人だったそうだ。
その娘はあまりにも美人なものだから、屋嘉美人と評判だった。字の青年はもちろん他字、他村の青年たちが、是非その娘と話してみたいとを思ったのでしょうね。娘の所には昼夜ひっきりなしに、青年たちがやってきたようだ。
そうしたら、「もうこんな事では仕事もできやしない」と、娘は用心棒として犬を飼ったんだって。娘は犬が吠えると、「また誰か来ているのだな」と裏門から逃げて誰とも会わないようにしていた。娘が飼っているその犬は屋嘉の赤犬と呼ばれていた。
ある日、雨も降ってないのに、その赤犬はずぶ濡れになって家に帰って来て、玄関でワンワンと吠えたようだ。屋嘉の娘が出てみると、赤犬は濡れた尻尾を盛んに振りながら、とても嬉しそうにしているのだった。これはどういうことだろうと思っていると、赤犬は「水のある所を見つけたから、さあ見せてあげよう」と言わんばかりに、娘の着物の裾をくわえてクラガーへ連れて行った。
そして、クラガーの前に着くと、赤犬はすぐにその中へ入って行き、ワンワン吠え出したのだが、屋嘉の娘はその先は暗いので明るい所で待っていたようだ。そのうちに、赤犬がずぶ濡れになってやってきたので、「ああ、ここにはこんなに水があるんだね」と、水が湧き出ていることに気づいたわけだ。
それから、娘は急いで家に帰り、そのことを字の役員に話すと、字の人たちがクラガーを調べることになった。そしたら、そこはもう水が豊富に湧き出ていたんだって。その後、字総出でそこを清掃してその水を使うようになり、その後は水に不自由することなく生活するようになったそうだ。それが楚辺クラガーさ。
また、屋嘉の娘があまりにも美人なので、どうしても口説きたいと思っている男がいたが、昼も夜も犬がいるので娘に会えなかった。それで、娘がクラガーへ水汲みに行く時に、自分も水汲みに行ってクラガーの中で思いを伝えようと考えていた。しかし、思うようにいかなかったのか、悪さをしようとしたらしいね、その男は。
そしたら、娘はびっくりしたが、その後からクラガーに水汲みに来た女がいたそうだよ。その人が来なければ、大変なことになっていたでしょうが、幸いなことに難を逃れることができたんだね。「ああ、そこに入ってはいけないよ、変な男がいるよ」と言って、二人は外に出た。そうして、どんな男が出て来るのか見てやろうと待ち受けていたようだ。
出入り口は一つしかないので、その男はどうしてもそこから出なくちゃいけない。男が出てくると、以前から屋嘉の娘、チラーに思いを寄せている男だった。それで、「ああ、お前だったのか、お前はそんな男だったのか」と言われて、恥をかいたわけさ、その男は。
そういうことがあって、それが字の役員の耳にも入り、字で規則を作ることになった。女の人がクラガーへ水汲みに行く時には、ガンシナ(頭上運搬用の輪型の敷物)は入口左にある丸い石の上に置き、クラガーの中には桶だけをもって入ること。そうして汲んできた水は、ガンシナのある所で頭にのせて運ぶこと。
また、男の人が水汲みに来た時に、石の上にガンシナがある間は中へ入ってはいけない。そして、男の人が水汲みに行く時にも、桶を担ぐ棒があるでしょう。男はその棒を石に立て置いて、中へは桶だけ持って入り、汲んできた水をそこから担いで家に帰るようにということ。女の人もまた棒が立っている間は、中に入ってはいけないという、字の規則を作って、クラガーの水を飲み水として利用したという話である。
そうして、その発端になった男は恥をかかされたので、今度は女に恥をかかそうと、「屋嘉の娘は犬の子を妊娠しているよ」と、あちこちで言いふらしたようだ。娘はそのとき既に妊娠していたようだ、ね。
犬の子を妊娠していると言いふらされた娘は、夜逃げして津堅島へ渡った。そこで生まれたのが赤犬子で、娘はその子を連れて生まれ故郷に戻って育てたそうだ。
その後、成人した赤犬子は勉学のために中国へ渡った。そして、中国から戻ってくる時に、麦、豆、粟、黍、唐黍、それから野菜の野蒜を土産に持って来た。これらの五穀を広めた穀物の恩人として、楚辺では赤犬子を崇めている。
それで、旧暦九月二十日には、五穀を供えて赤犬子祭を行なっている。それは現在でも毎年続けているよ。
赤犬子が五穀や野蒜を中国から持ってこられた昔は、道も悪いでしょう。那覇から歩いて来て疲れていたのか、嘉手納で転んでしまってね。そしたら、野蒜だけが手元から落ちてしまったんだって。その落ちた分はそのままにして、残っているのを家に持ち帰った。その時、落ちた分は拾わずに、「ここには野蒜は生えるなよ」と言ったので、嘉手納には野蒜はまったく生えないという話だよ。
それから、赤犬子はクバ(ビロウ)の幹を棹にして、弦は馬の尻尾を使って三線を作った。そして、歌三線の普及に励まれて、沖縄中、東海岸から西海岸を廻ったようだね。
中城安谷屋の村に差し掛かった時に水が欲しくなって、水を探したが見つからない。その時、ある青年が畑からとても美味しそうな大根を担いできたので、その青年に「その大根を一本分けてくれないか。もう水が欲しくてたまらないのだ」と頼むと、「良いですよ」と言った。青年は担いでいた道具を道におろして、鎌で大根の皮をむき、中身を四つに切って、手のひらに置いて赤犬子の前に差し出し、「これなら食べやすいですよ」と言った。
赤犬子は「なんて親切な青年だ」と感心して、その青年に「青年よ、名前は何か」と聞くと、姓は言わずにただ「マツ」とだけ言って、家に帰って行った。「ああ、世の中にはこんな親切な青年もいるのだな。この青年はきっと偉くなるだろうなあ」と思いつつ、ぶつぶつ何かを唱えながら旅を続けていた。
西海岸までやってくると、瀬良垣の浜では山原船の進水式を行なっていた。その時、赤犬子は子どもを連れていて、その子が水を欲しがったので、船大工に「子どもが水を欲しがっているので、水を分けて下さい」と頼んだ。
すると、船大工は「なに!」と、見たこともない三線を担いでいたので、「乞食のようなお前たちに分けてやる水はない」と言った。「ああそうか、しかたがない」と、赤犬子は歩きながら「瀬良垣水船だな」と言って、また先へ行った。
それから谷茶の方に来ると、そこでもまた山原船を造っていた。そこでまた、水が欲しいと頼むと、そこの船大工は、「ああいいですよ。沢山いただきなさい」と言ったので、「ああ助かった」と水をもらい、そこでは「谷茶速船だな」と言われた。
そして、また、何かぶつぶつ唱えながら家へ帰った。すると、赤犬子が言われた通り、瀬良垣の船は海に出る度に水難に遭って水船となった。だけど、谷茶の船は谷茶速船といって、水難に遭うこともなく良い旅を続けたそうだ。
そしたら、瀬良垣の船大工は赤犬子を怨んで、「谷茶の船に良い名前をつけて、私たちの船には悪い名をつけたな、殺してやろう」と赤犬子を追ってきた。
それで、殺される瀬戸際に立たされた赤犬子は、「何も悪い事もしてないのに、私を殺すというのか。人に殺されるよりは、自分で死んでやる」と、思ったのでしょうね。
そうして、現在の赤犬子宮の上の方に行かれたが、赤犬子は杖をついていらっしゃったらしいよ。その杖に、「赤木赤犬子が 蝶になって飛べば どのように訪ねて 行方を聞こうか」という歌を書いて、その後はどこへ行かれたのか行方知れずとなったそうだ。