読谷村しまくとぅば「むんがたい」

赤犬子 あかいんこ

話者 松田平信(1893・M26) 地域 楚辺 時間 13:46
  • しまくとぅば
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 あー、(んかし)楚辺(すび)部落(ぶらく)ぉよ、飲料水(いんろーすい)(いき)らさぬ、(みず)ねー非常(ひじょう)(くま)とーたんでぃ。ウフカーんちん()い、ソーガーんちん()しが、うぬ二箇所(にかしょ)から(みじ)使(ちか)とーてーるぐとーしが。うっさしん()らん。(あとぅ)んしイーガーでぃしん()んよ、うぬイーガーるぬ、イーガーぬ(いー)なかに(おお)きな溜池(ためいけ)()やーに、あんしうぬ、(あみ)()いになかい(みじ)(たくわ)えてぃ()ちょーてぃ、うぬイーガーんかい濾過(ろくゎ)(みじ)()り、なー(うぎ)みとーたんでぃ。


 あんさくとぅ、な、(みじ)(わっ)さる原因(げんいん)がやら、本当(ふんとー)(いずみ)るんしぇあらんくとぅ。楚辺(すび)(ちゅ)ぉむる(みー)(わっ)さぬよー、(ゐきが)(ゐなぐ)ん、(みー)(あか)り、楚辺(すび)ミーハガーんち評判(ひょうばん)やたんでぃよ、楚辺(すび)ミーハガーんち。


 ところが、屋嘉(やか)んどぅる、屋号(やごう)屋嘉(やか)んどぅる(うち)なかに、二十歳(はたち)(ぐる)一人(ちゅい)女子(ゐなぐんぐゎ)(をぅ)たんでぃよ。くぬ女子(ゐなぐんぐゎ)ぁ、(おな)水飲(みじぬ)水使(みじちか)てぃん、なー(みー)(わっ)しこーねーらん非常(ひじょう)美人(びじん)やたんでぃ、くぬ女子(ゐなぐんぐゎ)ぁ。


 あんさくとぅ、くぬ(むすめ)ぬ、屋嘉美人(やかちゅらー)んち評判者(ひょうばんむん)やたんでぃ。くぬ(ゐなぐ)ぉなーるく美人(びじん)なたくとぅ、部落(ぶらく)青年(せいねぬ)ん、他村(たそん)他字(たあざ)青年(せいねぬ)ん、なー縁談(はなしー)しぇーわやー(うむ)てぃ、(ゆる)(ひる)ひっきりなしに青年(せいねん)(ちゃー)(ちゅー)てーるぐとーん。


 あんさくとぅ、くぬ(むすめ)ぇなー、「あ、かんしぇー仕事(しぐとぅ)んならんなとーるむん」んち、用心棒(ようじんぼう)とぅしよ、(いん)(やしな)たんでぃよ、(いん)(いの)()らん(ちゅ)(ちー)ねー、ワンワン()びやーさーなかいすぐとぅ。あんさくとぅ、なーうぬ屋嘉(やか)(むすめ)ぇ、な、(いん)()ちーねー、「また(たー)(ちょー)さやー」んち、あんさーに裏門(うらもん)から()ぎやーに、あんし(たー)とぅん()わんくとぅ。あぬだー、うりが(ちか)なたる(いの)ぉ、屋嘉(やか)赤犬(あかいん)んちまた名前(なまえ)()ちょーたん。


 あんさーに、ある()、うぬ(いん)(あみ)()らんしが、いっぺー()りてぃ()っよ、()りてぃしっ。あん(やー)んかい(けー)てぃ()っ、うぬ玄関(げんくゎん)をぅてぃワンワン(いん)()びやーさくとぅ。うぬ(やしな)とーる屋嘉(やか)(むすめ)(ぅん)じてぃ()ちゃくとぅ、なー()りてぃし、しちょーしが。あんしが、うぬ(いの)尻尾(しっぽ)んいっぺー()やー()やーしっ、いっぺーなー(うっ)さそーるぎさーしよ。しちゃくとぅ、(ぬー)(わき)がやーんち、あんし()っち()じゅるうちねーうぬ(いの)ぉ、「なー(みじ)()(とぅくま) (わー)()ちょーくとぅ、なーりか()しら」んどぅるちむえーさーに、うぬ屋嘉(やか)(むすめ)着物(ちん)(すす)(くー)やーなかに、うぬクラガーんどぅる(とぅくま)んかい(そー)てぃ(ぅん)じ。


 あんし、クラガーぬ()()ちーねー、()(なーか)んかいうぬ(いの)()ちゃーなかに、あんし(みじ)(めー)んじまたワンワンいっぺー()びやーしちゃくとぅよ。うぬ屋嘉(やか)(むすめ)ぇようやく(あか)りぬ()(とぅくま)までー(ぅん)じ、うりから(さち)(くら)さくとぅ、其処(ぅんま)()っちょーてーるぐとーん。()っちゃくとぅ、()っちょーるうちなかい、うぬ(いん)(みじ)(なーか)んかい(とぅ)びんかーにバタバタ(ゐー)じさくとぅ、「あー、此処(くま)んかいうっさ(みじ)()んちやさやー」んち(かんげー)てぃ。


 あんさーにあぬだー、早速(さっすく)くぬ屋嘉(やか)(むすめ)(やー)んかい(けー)てぃ、うぬ(くとぅ)(あざ)当役(とうやく)んかい(はなしー)さくとぅ。あんさとぅ、(あざ)当役(とうやく)んあんしぇーなー早速(さっそく)調査(ちょうさ)しんじゅんち、調査(ちょうさ)ひちゃくとぅ、なー(みじ)ぬいっぺーまんでぃよ。あん、うりから(あざ)総出(そうで) (ぅん)ぢさーに、清掃(せいそう)しち、あんさーに(ぬー)不自由(ふじゆう)ねーんぐとぅ、今日(こんにち)までー(みじ)(ゆた)かに()だんでぃ。楚辺(すび)クラガーんでぃしぇーうり。


 屋嘉(やか)(むすめ)があんまりなー美人(びじん)やくとぅ、うり大変(いっぺー)なー(しぬ)でぃんれーやーりる(ゐきが)(をぅ)たしが、あん(ひる)(ゆーる)(いん)ぬなー(をぅ)ぎてぃ(いー)やならん。(あと)ぉうぬ(ゐきが)ぁ、なーくぬ屋嘉(やか)(むすめ)がクラガーんかい(みじ)()みーが()ちねー、自分(どぅー)(みじ)()みんが(ぅん)ぢ、あんしクラガーぬ(うち)をぅてぃ縁談(えんだん)(はなし)すんち(かんげー)てぃ、あい(ぅん)ぢ。さくとぅ、なーあんまり(おも)わしくんいかんがあたらー、悪戯(いたずら)すんでぃひちぇーるふーじやるぐとーん、くぬ(ゐきが)ぬ。


 あんさぐとぅ、くぬ(ゐなぐ)ん、なー(あふぁ)てぃやーに、あんしうりが(あとぅ)から、水汲(みじく)みーが(ちゅー)るまた(ゐなぐ)(をぅ)たんでぃよ。うりが(くー)んてーれーなー大事(だいじ)(くとぅ)んかい(しょー)じーてーるふーじやしが。うりが(ちゃ)くとぅ、(さいわ)いに(なの)(ぬが)りてぃ。「あーとー、其処(ぅんま)んかい()っちぇーならん、異風(いほー)(ゐきが)(をぅ)んどー」んでぃ()ち。あんさーに、(ふか)んかいうぬ(ゐなぐ)二人(たい)(ぅん)じてぃ()っち、其処(ぅんま)かい(ぅん)じてぃ(きー)ねー如何(ちゃー)ねーる(ゐきが)やらー()ちんじゅんち、()っちょーてーるぐとーん。


 あーんさくとぅ、なー(みち)(てぃー)ちるあくとぅ、是非(じふぃ)(ぅん)じらねーならんしぇー、うぬ(ゐきが)ぁ。(ぅん)じてぃ(ちゃ)くとぅ、なー平生(ひーじー)からチラー、屋嘉(やか)(むすめー)んかいなー注目(ちゅうもく)そーる(ゐきが)やてーんてー。あんさぐとぅ、「あー、ぃやーるやてぃなー、ぃやーやあんねーる(ゐきが)るやんなー」んでぃ()ち、なーうりから(はじ)かちゃんでぃよ、うぬ(ゐきが)ぁ。


 なー、あんさくとぅ、あい、うぬ(くとぅ)(あざ)当役(とうやく)()かーなかに、とー(なま)からあんしぇー字内(あざない)(ふー)(ちゅく)てぃ。(ゐなぐ)井泉(かー)んかい(みじ)()みーが()ちねー、()井泉(かー)入口(いりぐち)なかに左側(ひだりがわ)なかい(まる)(いし)()くとぅ、あい(ゐなぐ)(あたま)んかい()()しーねー、あぬガンシナんち()しぇーや。あぬガンシナうぬ(いし)(いー)んかい()ち、あんし(なか)んかいや(うーき)ばかーん()っち(ぅん)ぢ、(みじ)此処(くま)がえーまー()っち()っ、あんし其処(ぅんま)からかみてぃ(けー)いるぐとぅ。


 あんし、(ゐきが)水汲(みじく)みーが(ちー)ねー、其処(ぅんま)んかいガンシナぬ()(えーま)(うち)んかい()っちぇーならん。また(ゐきが)ぁ、()みんが(ちー)ねー(うーち)(かた)みーる(ぼう)()しぇーや。うぬ(ぼう)やうぬ(いし)んかい()てぃてぃ()ちょーてぃ、あんし(うーき)ばかーん()っち(ぅん)ぢ、此処(くま)までー()()ぎてぃ()っ、其処(ぅんま)から(かた)みてぃ(やー)んかい(けー)いるぐとぅ。あい、(ゐなぐ)んまた、其処(ぅんま)んかい(ぼう)()っちょーる(えーま)(うち)んかい()っちぇーならんち、(あざ)規則(きすく)(ちゅく)やーなかに、あんしあぬだー()だんでぃぬ(はなしー)やしが。


 あんさーなかに、なーうぬ(ゐきが)ぁなー(はじ)かちぇーくとぅ、今度(くんどー)なーまたうぬ(ゐなぐ)(はじ)かかすんち、うぬ(ゐきが)ぬ。「くぬ屋嘉(やか)(むすめ)(いん)(くゎ)懐妊(かさぎ)とーんどー」んち、彼方此方(あまくま)んじあびやーさくとぅ。なー、くぬ(むすめ)ん、な、うんにねー(すで)妊娠(にんしん)しちぇーをぅたんりっさー、ゐー。


 なーうれー、ぬーあんさくとぅなー(いん)(くゎ)てぃらむん 懐妊(かさぎ)とーんどーんち、()にんかいかんしなー(はじ)かかすくとぅ、くぬ(ゐなぐ)ぉなー夜逃(よに)げさーなかに津堅島(ちきんじま)んかい(ぅん)ぢよ。その赤犬子(あかいぬこ)んどぅる(ちゅ)津堅島(ちきんじま)をぅてぃ(ぅん)まりてぃ、また(むとぅ)故郷(こきょう)んかい(けー)てぃ()っ、あんし其処(ぅんま)をぅてぃくぬ赤犬子(あかいぬこ)(すだ)てぃてぃ。


 あん、大人(おとな)になたくとぅ、くりが中国(ちゅうごく)んかい勉強(べんきょう)しんが(ぅん)ぢ、くぬ赤犬子(あかいんこ)でぃ。あんし、彼処(あま)から(むる)やーや、(むじ)(まーみ)(あわ)(まーじん)唐黍(とーぬちん)、うりから野菜(やさい)野蒜(にーびらー)んち、うっさ、お土産(みやげ)()っち()っ。あんし、全員(むる)んかい普及(ほきゅう)っし。あんし、穀類(こくるい)恩人(おんじん)んち、字民(あざみの)(かんげー)てぃ。


 さーに、(きゅう)九月(くがつ)二十日(はちか)毎年(まいねん)赤犬子(あかいぬこ)(さい)やんよ。うぬ(ばー)なかにお(そな)(むの)ぉ、うぬ五穀(ごこく)ぬうれーチャンポンし()(めし)()ち、其処(ぅんま)かいお(そな)えし、(なま)までぃんなー(さか)んにやっている、うん、毎年(まいねん)あんしうりっし。


 あんさーなかに、なー(けー)てぃめんしぇーいに(ぅんかし)(みち)(わっ)さるあくとぅ。那覇(なーふぁ)からん()っちる(ちゅー)くとぅ、(ちゅか)りてぃがめんしぇーたらー、嘉手納(かでぃなー)村内(むらうち)うてー(くる)りよー。(くる)ばーなかに、(ぬく)いぬ品物(しなむの)(ほー)りらんしが、野蒜(にーびら)ばかーじぇ(ほー)りたんでぃ、其処(ぅんま)んかい。あい、うりんなー(うっ)ちゃん()ぎてぃ、ある(ぶん)(やー)んかい()っち(っち)っ。其処(ぅんま)んかい(ほー)りとーしぇー(とぅ)らんたしが、「はー、此処(くま)ねー野蒜(にーぶる)(みー)んなよー」んでぃ()ちゃくとぅ、嘉手納(かでなー)(あざ)ねー野蒜(にーぶら)一切(いっさい)(みー)らんどぅぬ(はなしー)


 あんし、うりから三線(さみせん)、クバぬ(ふに)さーに三線(さみせん)(ちゅく)てぃ、あんし(ちる)(ぅんま)尻尾(しっぽ)(きー)さーに(ちゅく)てぃ三線(さんしん)(うとぅ)(ぅん)じゃち。あんし、国々(くにぐに)沖縄(うちなー)(じゅー)東海岸(ひがしかいがん)から西海岸(にしかいがぬ)んかい(みぐ)てぃ()っ、(うた)三線(さんしん)普及(ふきゅう)んかい(はげ)みそーち。


 あんし、中城(なかぐしく)安谷屋(あだにや)(むら)んかい()()かいる(ばー)なかに、(みじ)(ふー)くなてぃ、あん、(みじ)()(とぅくま)(んー)ちょーしが、(みじ)()ちからん。あん、ある青年(せいねん)(はたき)から大変(いっぺー)美味(まー)さぎさる大根(でーくに)よ、(かた)みてぃ(ちゅー)しが(をぅ)たくとぅ、うりんかい(たぬ)でぃ、うぬ青年(せいねぬ)んかい、「うぬ大根(だいこん)(てぃー)()きてぃ(くぃ)らんなー。なー(みじ)(ふー)さぬうりやしが」んちゃくとぅ、「いいですよ」んち。あんし、うぬ青年(せいねぬ)んなー(みち)んかい道具(どうぐ)()るち、あんし、(かま)さーに(かー)(ぅん)ち、あんし中味(なかみ)ばかー(ゆー)ちんかい()きてぃ。自分(どぅー)()ぬひらんかい()ちきてぃ、うぬ犬子(いぬく)(めー)んかい、「(なま)やれーなー()(やっ)さいびーさ」んちゃくとぅ。


 「ああ、また親切(しんせつ)青年(せいねん)だなあ」んち、赤犬子(あかいぬく)(かん)じみそーやーに。あい、うぬ青年(せいねぬ)んかい、「青年(せいねん)名前(なまえ)(ぬー)んりが」んちゃくとぅ、(せい)()やんよーい、ただ「マツ」んり()ちゃんち。あんさーに、うぬ青年(せいねの)(やー)かい(けー)てぃ()ぢゃくとぅ、「ああ、()(なか)にこんな親切(しんせつ)青年(せいねん)もいるんだなあ」んち(うむ)てぃ。あんさーに、し「この青年(せいねん)将来(しょうらい)(やく)()人間(にんげん)になるだろうなあ」んち、(いー)ぬんしぇー。あんさーに、こごと(いー)ながちー、また(たび)(ちぢ)きてぃ。


 西海岸(にしかいがぬ)んかい(くー)やーなかに、瀬良垣(しらかち)(はーま)をぅてぃよ、山原(やんばる)(ぶに)(こしら)やーに進水式(しんすいしき)(ひー)やたんでぃよ。あん、うぬ(ばー)ねーまた()()(そー)とーしが、うぬ()()(みじ)(ふー)さんち、あん船大工(ふなだいく)んかい、「なー()()ぬいっぺー(みじ)()さそーくとぅや、(みじ)()きてぃ(くぃ)らんなー」んちゃくとぅ。


 うぬ船大工(ふにじぇーく)ぉ「なに!」でぃち、なー三線(さんしぬ)ん見(んー)ちんだんしぇーや。あん、うりん(かた)(かた)みどぅ、し、でーくとぅ。「乞食(こじき)みたいにうりし、いったーんかい()きてぃ(くぃー)(みじ)(ねー)ん」でぃ()ちゃくとぅ、「ああ、そうかあんし仕方(しかた)ない」、(あっ)ちゃがちーうぬ犬子(いぬく)(さま)ぁ「瀬良垣(しらかち)水船(みじふに)だなあ」んでぃ()んそーやーに、また(あっ)ち。


 また、うりから、谷茶(たんちゃ)(はじ)んかい(ちゃ)くとぅ、其処(ぅんま)をぅてぃんまた、山原船(やんばるせん)()じうりしち。あん其処(ぅんま)んかいうり(たぬ)だくとぅ、其処(ぅんま)ぬまた船大工(ふなだいく)、「ああいいですよ。沢山(たくさん)いただきなさい」んでぃ()ち、あんしちゃくとぅ、「ああ(たす)かった」んち。あんさーに、「ああ、谷茶(たんちゃ)速船(はいぶに)だなあ」でぃ()んそーち。


 あんし、(やー)んかい(また)こごと(いー)がちー(あっ)(ちゃ)くとぅ。うぬ(ちゅ)()んしぇーんねー瀬良垣(しらかち)(ふに)ぇよ、むる(たび)ぬかーじ水難(すいなぬ)んはっちゃかてぃよ、むる水船(みじふに)なてぃ。あんしが谷茶(たんちゃ)(ふに)谷茶速(たんちゃはやー)んち、ちゃーるうりっしからん水難(すいなぬ)んかい()わん、いっぺー()(たび)でぃち。



 あんさくとぅ、瀬良垣(しらかち)船大工(ふにじぇーく)(にく)り、「谷茶(たんちゃ)(ふに)んかい()()()きてぃ、(わっ)たー(ふに)んかい()()()きてーくとぅ、うれー(くる)しわるやる」んち。


 あんさーなかに、(くる)する間際(みじふぁ)なたくとぅ、うり犬子(いぬこ)(さま)()きんそーやーに、「なんじゅ(わる)(くとぅ)んさんしが、(わん)(くる)すんちすんなー。あん、(ちゅ)(くる)さりーしやかねー、自分(どぅー)始末(しまつ)すしぇーまし」んでぃち。


 あんさーに、(なま)ぬお(みや)(いー)んかいめんそーち、あんし、(つえ)()ちめんしぇーたんでぃよ。(つえ)んかい、「赤木(あかぎ)アカヌクぬ ハベルなてぃ(とぅ)びわ いちゃし(たず)にやい 行方(ゆくい)()ちゅが」でぃ()ち、(うた)()ち、うぬ(つえ)んかい()ちょーてぃ、あん、うぬ(つえ)(いー)から、何処(まー)んかいがめんそーちゃらー行方(ゆくえ)なしやたんでぃ。


 昔、楚辺の部落は飲料水が少なくて、水にはとても困っていたそうだ。ウフカー、ソーガーというのがあって、その二か所からも水を使っていたが、それだけではとても足りなかった。後には、イーガーの上に大きな溜池を掘って、雨水を貯え濾過して飲み水を補っていたそうだ。



 そういうわけで、井泉からの直接の水ではなかったから、水の悪いのが原因だったのか、楚辺の人はみんな目が悪くてね。男も女も目が充血して、楚辺ミーハガーと評判だったそうだよ。



 ところが、屋嘉の一人娘だけは同じ水を飲んだり使ったりしても、目も悪くならずとても美人だったそうだ。




 その娘はあまりにも美人なものだから、屋嘉美人と評判だった。字の青年はもちろん他字、他村の青年たちが、是非その娘と話してみたいとを思ったのでしょうね。娘の所には昼夜ひっきりなしに、青年たちがやってきたようだ。


 そうしたら、「もうこんな事では仕事もできやしない」と、娘は用心棒として犬を飼ったんだって。娘は犬が吠えると、「また誰か来ているのだな」と裏門から逃げて誰とも会わないようにしていた。娘が飼っているその犬は屋嘉の赤犬と呼ばれていた。





 ある日、雨も降ってないのに、その赤犬はずぶ濡れになって家に帰って来て、玄関でワンワンと吠えたようだ。屋嘉の娘が出てみると、赤犬は濡れた尻尾を盛んに振りながら、とても嬉しそうにしているのだった。これはどういうことだろうと思っていると、赤犬は「水のある所を見つけたから、さあ見せてあげよう」と言わんばかりに、娘の着物の裾をくわえてクラガーへ連れて行った。





 そして、クラガーの前に着くと、赤犬はすぐにその中へ入って行き、ワンワン吠え出したのだが、屋嘉の娘はその先は暗いので明るい所で待っていたようだ。そのうちに、赤犬がずぶ濡れになってやってきたので、「ああ、ここにはこんなに水があるんだね」と、水が湧き出ていることに気づいたわけだ。




 それから、娘は急いで家に帰り、そのことを字の役員に話すと、字の人たちがクラガーを調べることになった。そしたら、そこはもう水が豊富に湧き出ていたんだって。その後、字総出でそこを清掃してその水を使うようになり、その後は水に不自由することなく生活するようになったそうだ。それが楚辺クラガーさ。



 また、屋嘉の娘があまりにも美人なので、どうしても口説きたいと思っている男がいたが、昼も夜も犬がいるので娘に会えなかった。それで、娘がクラガーへ水汲みに行く時に、自分も水汲みに行ってクラガーの中で思いを伝えようと考えていた。しかし、思うようにいかなかったのか、悪さをしようとしたらしいね、その男は。




 そしたら、娘はびっくりしたが、その後からクラガーに水汲みに来た女がいたそうだよ。その人が来なければ、大変なことになっていたでしょうが、幸いなことに難を逃れることができたんだね。「ああ、そこに入ってはいけないよ、変な男がいるよ」と言って、二人は外に出た。そうして、どんな男が出て来るのか見てやろうと待ち受けていたようだ。


 出入り口は一つしかないので、その男はどうしてもそこから出なくちゃいけない。男が出てくると、以前から屋嘉の娘、チラーに思いを寄せている男だった。それで、「ああ、お前だったのか、お前はそんな男だったのか」と言われて、恥をかいたわけさ、その男は。



 そういうことがあって、それが字の役員の耳にも入り、字で規則を作ることになった。女の人がクラガーへ水汲みに行く時には、ガンシナ(頭上運搬用の輪型の敷物)は入口左にある丸い石の上に置き、クラガーの中には桶だけをもって入ること。そうして汲んできた水は、ガンシナのある所で頭にのせて運ぶこと。




 また、男の人が水汲みに来た時に、石の上にガンシナがある間は中へ入ってはいけない。そして、男の人が水汲みに行く時にも、桶を担ぐ棒があるでしょう。男はその棒を石に立て置いて、中へは桶だけ持って入り、汲んできた水をそこから担いで家に帰るようにということ。女の人もまた棒が立っている間は、中に入ってはいけないという、字の規則を作って、クラガーの水を飲み水として利用したという話である。



 そうして、その発端になった男は恥をかかされたので、今度は女に恥をかかそうと、「屋嘉の娘は犬の子を妊娠しているよ」と、あちこちで言いふらしたようだ。娘はそのとき既に妊娠していたようだ、ね。



 犬の子を妊娠していると言いふらされた娘は、夜逃げして津堅島へ渡った。そこで生まれたのが赤犬子で、娘はその子を連れて生まれ故郷に戻って育てたそうだ。





 その後、成人した赤犬子は勉学のために中国へ渡った。そして、中国から戻ってくる時に、麦、豆、(あわ)(きび)唐黍(とうきび)、それから野菜の野蒜(のびる)を土産に持って来た。これらの五穀を広めた穀物の恩人として、楚辺では赤犬子を崇めている。


 それで、旧暦九月二十日には、五穀を供えて赤犬子祭を行なっている。それは現在でも毎年続けているよ。




 赤犬子が五穀や野蒜を中国から持ってこられた昔は、道も悪いでしょう。那覇から歩いて来て疲れていたのか、嘉手納で転んでしまってね。そしたら、野蒜だけが手元から落ちてしまったんだって。その落ちた分はそのままにして、残っているのを家に持ち帰った。その時、落ちた分は拾わずに、「ここには野蒜は生えるなよ」と言ったので、嘉手納には野蒜はまったく生えないという話だよ。



 それから、赤犬子はクバ(ビロウ)の幹を棹にして、弦は馬の尻尾を使って三線を作った。そして、歌三線の普及に励まれて、沖縄中、東海岸から西海岸を廻ったようだね。


 中城安谷屋の村に差し掛かった時に水が欲しくなって、水を探したが見つからない。その時、ある青年が畑からとても美味しそうな大根を担いできたので、その青年に「その大根を一本分けてくれないか。もう水が欲しくてたまらないのだ」と頼むと、「良いですよ」と言った。青年は担いでいた道具を道におろして、鎌で大根の皮をむき、中身を四つに切って、手のひらに置いて赤犬子の前に差し出し、「これなら食べやすいですよ」と言った。



 赤犬子は「なんて親切な青年だ」と感心して、その青年に「青年よ、名前は何か」と聞くと、姓は言わずにただ「マツ」とだけ言って、家に帰って行った。「ああ、世の中にはこんな親切な青年もいるのだな。この青年はきっと偉くなるだろうなあ」と思いつつ、ぶつぶつ何かを唱えながら旅を続けていた。




 西海岸までやってくると、瀬良垣の浜では山原船の進水式を行なっていた。その時、赤犬子は子どもを連れていて、その子が水を欲しがったので、船大工に「子どもが水を欲しがっているので、水を分けて下さい」と頼んだ。


 すると、船大工は「なに!」と、見たこともない三線を担いでいたので、「乞食のようなお前たちに分けてやる水はない」と言った。「ああそうか、しかたがない」と、赤犬子は歩きながら「瀬良垣水船だな」と言って、また先へ行った。



 それから谷茶の方に来ると、そこでもまた山原船を造っていた。そこでまた、水が欲しいと頼むと、そこの船大工は、「ああいいですよ。沢山いただきなさい」と言ったので、「ああ助かった」と水をもらい、そこでは「谷茶速船だな」と言われた。


 そして、また、何かぶつぶつ唱えながら家へ帰った。すると、赤犬子が言われた通り、瀬良垣の船は海に出る度に水難に遭って水船となった。だけど、谷茶の船は谷茶速船といって、水難に遭うこともなく良い旅を続けたそうだ。


 そしたら、瀬良垣の船大工は赤犬子を怨んで、「谷茶の船に良い名前をつけて、私たちの船には悪い名をつけたな、殺してやろう」と赤犬子を追ってきた。


 それで、殺される瀬戸際に立たされた赤犬子は、「何も悪い事もしてないのに、私を殺すというのか。人に殺されるよりは、自分で死んでやる」と、思ったのでしょうね。


 そうして、現在の赤犬子宮の上の方に行かれたが、赤犬子は杖をついていらっしゃったらしいよ。その杖に、「赤木赤犬子が 蝶になって飛べば どのように訪ねて 行方を聞こうか」という歌を書いて、その後はどこへ行かれたのか行方知れずとなったそうだ。

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解説

赤犬子は、琉歌に「歌と三味線の昔始まりや犬子音揚りの神の御作」とあるように、歌・三線の始祖とされ、尚真王時代(在位1477~1527年)に活躍した歌唱の名人といわれる。沖縄最古の歌謡集『おもろさうし』巻八(全22巻)には、赤犬子が各地を巡り唱え謡った、あるいは赤犬子を称えた、「おもろ」(古い歌謡)が収録される。赤犬子は楚辺の屋号屋嘉の娘チラーと大屋のカマーの間に生まれ、チラーの飼う赤犬が発見した湧泉が暗川と伝わる。 楚辺では赤犬子はアカヌクーと呼ばれ、赤犬子を祀った拝所も同様に呼ばれる。楚辺の守り神、五穀豊穣の神ともされ、旧暦9月20日に赤犬子御願(アカヌクスーギ)を行う。この時五穀のンバン(米・粟・キビ・小豆・トウキビを混ぜたご飯)も供えられる。戦前はムラヤーとアカヌクーの間をホラ貝やカネ、太鼓を打ち鳴らしながら道ジュネーし、道中参加した子供たちには一切れのムリムチ(餅)が配られ大いに賑わった。 1944年10月10日の空襲の際、アカヌクー付近に投下された爆弾が不発だったことから、「ここには本当に神様がいる」と旧日本軍が木製の鳥居を奉納したという。1956年に宮や鳥居、参道が整備され、1996年には改修工事が行われ、現在のものとなっている。 1981年の第7回「読谷まつり」から、まつりの柱として「赤犬子琉球古典大演奏会」が企画された。演奏会に先立ち赤犬子御主前(御主前は尊称)を会場に迎えるという行事があり、その役目は楚辺自治会が担っている。(「楚辺ガイドマップ」琉球古典音楽の始祖・赤犬子)

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