読谷村しまくとぅば「むんがたい」

波平の始まりと武士ガー なみひらのはじまりとぶしがー

話者 比嘉自作(1902・M35) 地域 波平 時間 02:07
  • しまくとぅば
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 うれーよ、(むら)(ふぃ)(かん)や、次男新屋前倉根(じなんめーくらんにー)や、あったー西(いり)んかい(なな)所帯(しょたい)あたんり。(なな)所帯(しょたい)あてぃ、うにんから(なな)所帯(しょたい)からかん(ひる)がてぃ、新屋(みーやー)仲与儀(なかゆじ)仲与儀(なかゆじ)彼処(あま)んかい(ひる)がてぃ、うりから松元(まちむとぅ)ぬかい(ひる)がい、あんさい(なま)なーチンマーサーち(あそ)()()道路(どろ)、ガジュマルぬチンマーサーんかい(ひる)がてぃ、あんさーい次第(しでー)次第(しでー)其処(ぅんま)んかい(ひる)がてぃもーちょーがはんどー。



 あんさーいうぬ(なな)家庭(ちねー)あたん(とぅくる)(みじ)()でーる井泉(かー)()たんでぃ。ただ溜池(ためいけ)ぐゎーふーじーでーやしが、(ぅんかし)ぇちゃっぴがあたらー()からんしが、「其処(ぅんま)(みじ)()みーねー()(ちゅ)(ぅん)じーぐとぅ、ぐてー(かな)やーが(ぅん)じーぐとぅ、其処(ぅんま)(みじ)()むな」り。(いー)るんさー、石厳當(いしがんとう)でぇるふーじな(ちゅ)()まさんなてぃ、波平(はんじゃ)ぁくり頑丈者(がんじゅーむの)(ぅん)じらんなとーたんでぃ。其処(ぅんま)()むる(えーだ)頑丈者(がんじゅーむん)(をぅ)たんりよ。



 あんさーい、うにーん南方(ふぇーかた)からイチュマナーが(なが)(ぶーにー)(かじ)()ちーに難破(なんぱ)し、私達(ぅんっがた)部落(しま)(しちゃ)んかい()(ちゅ)ぉうりしーなたぐとぅ、今度(くんど)村中(むらじゅう)(ぅん)じてぃ、()りふぃじみーんりしちゃぐとぅ。うにんから、()(ちゅ)ふぃじみてーならん。武士(ぶし)ガーでぃる(みじ)()でる(ゆえ)にるあんなとる。


 くれー警察(けいさつ)から(ただ)しーが(ちゃ)ぐとぅ、「くり(たー)がしちゃが、(たー)がしちゃが」でぃち村中(むらじゅう)(ちゅ)んかい(ゐー)してぃ質問(しつもん)しぇんしぇーがはんて。あんさーい、ある(っちゅ)一人(ちゅい)ぬ「(わん)がさびたん」でぃち、頑丈(がんじゅー)しが(ぅん)じーたとぅ、「あはー、ぃやーがるしぇーさい」でぃち、頑丈者(がんじゅーむの)ぉ、(くる)ちぇーる(ちゅ)ぉすんかってぃ(ぅん)ぢゃーい、「うぬ井泉(かー)(みじ)()むな」りーる(はなし)えん。

 これはね、字の発祥の火ヌ神は、次男新屋前倉根の西の方に七所帯あったというがね。七所帯があって、波平はその七所帯から新屋仲与儀、仲与儀ね、そこへと広がり、それから松元にも広がり、そうして、今チンマーサーと呼んでいる遊び場がある道路、ガジュマルのあるチンマーサーへと広がっていった。そうして次第にここへ広がってきたそうだよ。


 それで、その最初に七所帯があった所に井泉があって、その水を飲んでいたそうなんだ。昔はどれぐらいの大きさの井泉であったのか知らないが、今ではちょっとした溜池のようなものだよ。石厳當のような人物が「そこの水を飲んだら悪い人が出る、乱暴者な人が生まれるので、そこの水は飲むな」と、飲むのを止めたそうだ。それからは波平では乱暴者は出なくなったそうだ。それまでは乱暴者がいたんだってよ。


 その頃、南の方から糸満の人が、風に流された舟が難破して、こっち波平の浜辺に着いたのを、部落中の人が総出で、この人を懲らしめたそうなんだ。それから、人を懲らしめてはいけない。武士ガーの水を飲んでいるから、そういうことをしたんだと。


 これを警察が調べにきて、「これは誰がしたか、誰の仕業か」と、村中の人を座らせて質問したようだね。それで、ある一人が「私がしました」と名乗り出たので、「ああ、お前がやったのか」といって、その乱暴者は、警察に連行されて行ったんだと。それから、「そこの井泉の水は飲むな」ということになったという話だよ。

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解説

言い伝えによると、集落が広がるときに候補地を決めてこの井戸を掘ったが、フンシークミヤー(風水師)より「この井戸の水を飲むと武士が多く生まれ、争いが絶えなくなる」といわれ今の前島の場所に集落を発展させることとなった。それからこの井戸は武士ガーと呼ばれるようになったという。また集落内のカーの整備を行う際にも、シーダカサン(霊力が高い)などの理由から、未整備となっている。(「波平ガイドマップ」波平のカー、武士(ブシ)ガー)

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