あんとぅ、昔ぇやー、本当や都屋やあらん、座喜味ぬしじやたるふーじーやいぎさんよー。あんしがなー、くぬ戦争うりっし、なーくぬ終戦なたぐとぅ、都屋とぅしっ字なとーるばーよーやー。
あんとぅ、昔ぬ其処んかい、うぬ都屋んかい、一番めんそーちゃしぇー新屋とぅ阿波根とぅ、うりから古堅とぅやー西島袋んり、うっさめんしぇーたんでぃ。あんとぅ、うっさからくぬ都屋、都屋やなー広がとーるしじなとーぬばーてー。あんとぅ、半分ぉなー、私達ぁくぬ都屋ぬ部落ぉ古堅ぬ多さるばー。
あんさーに、糸満からん寄留すい、しーから本部からん何んりがー、名護からん寄留するばー、ブーマーヤーんち前兼久ぬ、んち在てーぐとぅ。うぬしんかー寄留民やしが、なー残いしんかー全員なー方々からぬ寄留民やてーぎさんよー。あんさ、都屋部落ぉ、今なー百四十四軒がらーなとーるばー。
戦前までは、都屋は字座喜味の一部だったんだがね。戦後(1946年)に、都屋として一つの字になったんだよ。
昔、都屋に先にいらしたのは新屋と阿波根、それから古堅と西島袋だったそうだ。その人たちから都屋は広がっていったということさ。それで、都屋は古堅姓が多いんだよ。
それから、糸満からも寄留するし、本部や名護からも寄留するし、(恩納村)前兼久にあったブーマーヤーという家から寄留した人たちもいた。そうして、各地からの寄留民がやってきたそうだよ。そのようにして、都屋の部落は今ではもう百四十四軒にもなっているわけだよ。