なー昔ぬマンサンユーエーぬお話しっ、うんぬきーびら。
昔ぇなー、大概なー明治時代までぃぬ人達ぁなーボージャー産しぇーからー、一週間までーなー夜伽んち有たるばーてー。あんしうぬ夜伽んりねー、なー一日目からんち三日や、ユッカジールーんち又、四日目は親子のとっても健康であるんりやーなかい、なー茶請きぐゎーん何んすがてぃ、じこーうりやたしが。
あんさーに、ある所、昔なー産しむぬ子ん産しみそーらん所んかい、じこーが可惜さし、なー四、五年間飼らてーる猫ぬ、雄猫が居てーる筈えいびーさ。あんし、自分やなー子ん産さんるあたしが、長れーんが間ありしなー、うぬ其処ボージャー産ちさくとぅ。
今度ぉうぬ猫やなー、あんしぇーならんむんりやーなかい、其処から捨てぃてぃ、かーま山ぬ中んかい捨てぃてぃるあしが。
今度ぉうぬ猫が化きてぃ来なかい、其処ぬボージャースージー、六日ぬ夜に化きてぃ来なかい、なー人んかいなてぃ。あんさーにマンサン披露ぎてぃ歌三線そーに。尾や其処んかい筵ぬ、其処んかい尾や隠さーなかい、なーやっぱし人間んかい化きてぃ。あんさーいなー同ぬぐとぅ歌三線ししっし、あんし皆なー帰てぃ行ぢ。
今度なー、ある人ぬうりが出じてぃ行ちゅし追てぃ見ちゃぐとぅ。やっぱし其処ぬ主人ぬ捨てぃてーる、うぬ山んかい登てぃ行ぢ。見ちゃぐとぅ、うぬ猫がなー狸みたような、じこーちゃひんな猫なやーに。
あんさぐとぅ、やっぱし昔からくぬあぬー猫りしぇーなー、主ぬ命取い者。又化きてぃ狸んかい化きたい、いろんな者、人間んかい化きたいすぐとぅ、長れーのー飼れいるむのーあらん。取い替い替い猫でも動物やてぃん犬やてぃん何やてぃん、主とぅ主人とぅぬうり、良く留みやーなかい、かんし。
やぐとぅ生物やたんてーか、くぬ主人が可愛さしなー自分ぬ食むる物ん食まさんぐとぅにし、腹一ち込みてぃしーねー、うんぐとぅしなー化きてぃ来い何さいすぐとぅ。なー生物やてぃん取い替い替い、長れーのー飼らーんぐとぅなー、ありすしる話ぃ聞ちょーやびーん。
あんさーい、今なー畳ちん有しが、昔ぇ畳ちん無らんニクブクとぅか、それから筵とぅか敷物ぐゎーんな、うんぐとぅし自分くる作てぃるすてーぐとぅ。うぬ筵ぬ隙間、隙間ぁ空きてー敷ちゅる物ぉあらんでぃち言しや、其処んかい尾ぅ隠ちゃい何さい、悪者ぬ尾ぅ隠ちゃい何さいすんりちるし。
またくぬ童たー枕元んかいやてぃん、あぬーサンぐゎー結てぃ置ちゅんとぅか刃物置ちゅんとぅかしぇー、うんな化物ぬじこー恐るさしすんりちる、ボージャー達が生まりーねー昔ぇサンぐゎー結てぃ置ちゃい、刃物ぐゎー置ちゃい何さいする事なとーびん。
あんさーなかいる昔ぇくぬマンサンりしぇー歌三線りしぇー、なーじこーがありやぐとぅ。なー友達ぐゎーぬ達ぁ集まてぃ、一人ち代るーなーユートゥジし。一週間目ねー、丁度生まりてぃ七日目ねー名字ぐゎーん付きてぃマンサンち、チチョーデー集まてぃする事なとーるくとぅやいびーん。
これから、昔のマンサン祝い(出産祝い)のお話をいたしましょう。
昔の人たちは、子どもが生まれたら夜伽といって、ジール(地炉)のある産室で母子を見守る風習があった。それは、一日目、三日目、また四日ジールといって、四日目には母子が健康であるということで、お茶請けも作って祝っていた。
昔、ある所になかなか子どもに恵まれない家庭が、雄猫を四、五年もの間、大事に可愛がっていたようだ。子どもに恵まれずに猫を長いこと飼っていたが、やっとその主人に子どもが生まれたんだって。
それで、猫をそのまま飼うわけにはいかないと、遠くの山奥に捨てたようだね。
すると、その猫が人間に化けて、マンサン祝いにやって来たんだって。六日目のその祝いの座で歌三線を披露している時に、尻尾を筵の間に隠して、人間になりすまして座っていた。そうして、皆と同じように歌三線を楽しんでから、それぞれ帰って行った。
そしたら、山の方へ行く者がいたので、不思議に思った人が後を追って行くと、赤子の生まれた家の主人が猫を捨てた山へ登って行った。そこで見たのは、狸のような大きな猫だった。
昔からやっぱり猫というのは、主人の命を取ると言われているからね。また狸や他の動物に化けたり、人間に化けたりするから、一つの生き物を長いこと飼うものではない。動物を飼う時にはいつでも、飼い主としての立場をはっきりさせるべきだということだね。
だから、動物でも主人が可愛がりすぎて、食事も同じようにすると、そのように化けたりするそうだ。動物は常に取り替えながら飼うべきで、一匹だけを長い間飼うものではない、という話を聞いています。
それから、今はもう畳もあるが、昔は畳というものはなく、各々でニクブク(藁筵)や筵などの敷物を作って敷いていた。筵を敷く時にはヤナムン(魔物)がそこに尻尾を隠したりすることがあるから、隙間を空けるものではないといわれているんだよ。
また、子どもの枕元にサンを結んで置いたり、刃物を置いたりするのは、それをヤナムンがとても恐がるんだって。それで、昔は子どもが生まれたら、サンを結って置いたり、刃物を置いたりしたそうです。
昔のマンサン祝いというのはとても大切なことで、そのようなヤナムンを払うために、一人ずつ交代で夜伽をしてあげた。それで、生まれて七日目には名前も付けて、親戚兄弟集まってマンサン祝いをするようになったということです。