何なとーがりれーや、あれー昔、鹿児島島津家ぬ沖縄ぁ攻みんが来くとぅやー。初ぇ島尻から攻みーんでぃすしが、彼処ぁ、けん守らっとーぐとぅ入りーさん、国頭からさーに攻みてぃっ来っ。
あんし、沖縄ぁ野蛮ぬうりるやくとぅ、鉄砲さーに射りくじらってぃやー。国頭、あんし沖縄や戦ぬぶん農民ぬ達やクルマボーさーによ、戦てぃあんそーたんりよー。なー大事んでぃる事ぉ分からんやー、鉄砲さーに射らりーぎーしが、なかなか死なんたんでぃよ。大事ぇ分からんるあぐとぅ。
あんし、次第次第に其処んかい来っ来ぃ、なー此処っちぇーなー、来るばー読谷山、此処までぃ来るばーよー。あんし、くりかー辺ぬ人ぉ大木んでぃる所んかい避難しみてぃやー。彼処ぁ大木んでぃる所ぁ沢山ぬ大ぎ木ぬ生てぃやー、なーふちゃーじいっぺーそーる所やたんでぃよー。
あんさーにそーしが、うぬ内地ぬ島津家ぬ軍隊、其処までー来うーさんやー。あんし、うぬ武士ぬ大木守てぃやー。あんさーに徳ぬ有てーる武士んちやー、彼処、徳武佐ぁ今造らっとーんでぃ。うぬ戦ぁ徳ぬ有る武士ぬ守てぃ、徳ぬ有てーるうりでぃち、なーうぬ恩返しとぅし徳武佐ぬ拝み造らっとーんでぃ。
そこはどういう所かというとね、昔、鹿児島の島津家が沖縄を攻めてきた。最初は島尻から攻めようとしたが、あそこは守りが堅くて入れなかったので、国頭から攻めたそうだ。
当時の沖縄は遅れていたので、敵は鉄砲で撃ちこんでくるのに、農民はクルマボー(殻竿)で戦っていたそうだ。それでも弾に当たることはなかったらしいよ。それにしても、恐いもの知らずだったんだね。
それでも、敵は次第に読谷山まで押し寄せてきたようだ。それで、人々を近くへ避難させたわけだ。そこには大きな木が立ち並び、生い茂るその木々の葉に守られたそうだ。
そこに避難していたら、島津家の軍隊はそこまで入ることはできなかった。それで、その木々のおかげだということで、徳武佐という拝所になったんだって。その戦のときに、そこで助かったということで、恩返しとして徳武佐の拝みをするようになったそうだ。