読谷村しまくとぅば「むんがたい」

むかしの渡具知 むかしのとぐち

話者 吉浜亀(1891・M24) 地域 渡具知 時間 03:33
  • しまくとぅば
  • 和訳を表示

 くぬ渡具知(とぅぐち)ぬやー、(あじゃ)潟原(かたばる)なかい、三十(さんじゅー)家庭(ちね)成功(せいこう)しめんしぇーたんでぃしが(をぅ)たんでぃしが。何百(なんばく)(にん)がなとーらー、何十年(なんじゅーにん)がなとーらー、いぇーりん(しるし)()たがやーんちそーしが、うれー()からんしが。


 三十(さんじゅー)家庭(ちねー)()たんでぃる(うち)から、くぬ(むら)根屋(にーや)んでぃしぇー、いっぺーぬ優秀(ゆうしゅう)(とぅくる)なかい(はじ)まいから(ちゅく)らってぃしちゃくとぅ、潟原(かたばる)んかい()いんからどー。


 其処(ぅんま)んかいや根所(にーどぅくる)根屋(にーや)んでぃしぇー(ぬぶ)してぃ()立派(りっぱ)んに(ちゅく)たんでぃ。(ちゅく)たくとぅうぬ(さの)ぉよー、うり屋敷(やしち)(むとぅ)みたる風水(ふんし)まとぅみらっとーる(とぅくる)ぉやー三日月(みかぢち)(かた)やんでぃ。丁度(ちょーる)三日月(みかぢち)(かた)風水(ふんし)やんでぃ(くし)ぇ。(めー)(ふぃる)がてぃ(くし)三日月(みかぢち)なかい(ちち)まっとーるばーてー。


 あんさくとぅ、西(いりー)御嶽(うたき)(あがり)御嶽(うたき)んでぃち渡具知(とぅぐち)(むら)有名(ゆうめい)なあんでぃしや、(あがり)御嶽(うたき)西(いりー)御嶽(うたき)(むら)根屋(にーや)とぅ三方(さんこー)腰当(くさてぃ)しみてぃ、渡具知(とぅぐち)(むら)ぬぐとーる威勢(いっしー)ぬある(さか)(とぅ)いる(あじゃ)(ねー)んでぃ、昔話(んかしばなしー)ぬ。(ちて)(ばなしー)私達(わった)んかい(ゆず)てぃちゃるばー。


 あんさくとぅ、なー潟原(かたばる)なかいや何十年(なんじゅーにん)(をぅ)たらー()からんしがてー。丁度(ちょーる)三間(さんじん)、シマぬ(なぎ)(ゆく)(なが)りてぃ(ちゅー)るむのー三間(さんげん)びかーぬ(かーら)ぐゎーなとーたんでぃ。(なま)渡具知(とぅぐち)(むら)潟原(かたばる)ぉ。



 また、(ふぇー)土地(じー)(やま)此処(くま)渡具知(とぅぐち)土地(じー)(やま)、あんさくとぅ、(うす)()っちん、(ふぃ)っちん(ちんしー)から(いー)(いふぃ)ぐゎーる(ぬぶ)てぃしーねー、(しちゃ)サナジぐゎーる(ちる)がてぃ(わた)(くぃー)やすたんでぃ。あんさ、(うす)()っちんどー、うっさるやたんでぃしが。


 くぬ(あたら)しい渡具知(とぅぐち)(みなとぅ)(ちゅく)たしん、くぬ渡具知(とぅぐち)三十(さんじゅー)家庭(ちねー)(いー)んかい()がてぃ(ぅん)ぢから、たったたった世代(ゆーでー)(なが)りてぃちゅーしんでー、また(やま)()らしん(ぅん)じてーんてー。上部(うゎーび)(やま)()らしぇ(ちゅ)(うふ)くないしんでー、(やま)()っち()きたくとぅ(みじ)ぇやまなてぃ、(かーら)なたんでぃ。


 あんしさーにしちゃくとぅ、くぬ(むら)根屋(にーや)んでぃしぇー、是非(じふぃ)何処(まー)んかいん()()ちぇーならん。くぬ三十(さんじゅー)家庭(ちねー)家庭(ちねー)から七十(ななじゅー)家庭(ちねー)ないん、九十(くじゅー)家庭(ちねー)ない、(はく)家庭(ちねー)(あま)いなたんでぃしぇーくぬ(ゆー)までぃねー。


 あんしぬ其処(ぅんま)(さか)いそーる渡具知(とぅぐち)部落(ぶらく)やくとぅやー、是非(じふぃ)あぬ部落(ぶらく)んかい(ぅん)(さけ)(とぅ)ってぃ、また(むとぅ)形造(かたちちゅく)らんあれーならんでぃち。くぬ(とぅし)(とぅ)っとーる(ちゅ)(ちゃー)がん、また(わか)(むん)(ちゃー)屋敷(やしち)(ねー)んぬーん、是非(じふぃ)彼処(あま)んじ辛抱(しんぼう)しさんあれー、くぬ(ゆー)(ちゅく)ららんさにんちぬ(はか)れー()っち、区長(くちょう)さぬん自分(どぅー)(なー)んなーあんしぬ、(いち)(にち)(ふぇー)彼処(あま)んかい(わた)いんでぃる(くとぅ)さーやーさーやーし、そーるばーやしがてー。



 うりからまた、此処(くま)(むかし)ぬアシビナーやたんでぃさ。また、此処(くま)潟原(かたばる)んかい()いんうてぃ、くぬ根所(にーどぅくる)(めー)んでぃしぇー、ゥンマイー。丁度(ちょーる)私達(ぅんがた)空馬(からぅんま)()たい(ぬー)さいしよー訓練(くんれん)しみーる(とぅくる)、ゥンマイーんち根屋(にーや)(まえ)んかい。あんさくとぅ、うりんだーくぬ戦世(いくさゆー)なたくとぅ()らさってぃむる(ねー)んなとーぐとぅよー、うみなさったくとぅ、うりん残念(ざんにん)


 あんさくとぅ、(むとぅ)(かたち)(ぅん)じゃちとぅらさんなーんち(ぐぬ)んかい、成功(せいこう)しっとぅらんしんでぃち御願(うにげー)すんでぃるばーてー。あんすくとぅ、其処(ぅんま)第一(でーいち)やくとぅくぬ渡具知(とぅぐち)ぬしー(さか)いすんでぃしぇー、なー是非(じふぃ)風水(ふんし)風水(ふんし)ぬぐとぅまとぅみてぃ(ちから)()ってぃいかんあれならんむんちよ。

 この渡具知の始まりは、潟原にあった三十世帯で成り立ち、栄えた部落であったそうだ。その記録は多分あると思うが、何百年になるのか、何十年になるのか、はっきりしたことは分からない。


 渡具知の根屋というのは、その潟原に三十世帯あった頃から、すでに良い場所にあった



 潟原から移ったところの風水は、三日月の形だというよ。集落の前方は広がって、後ろは三日月に包まれたような形になっているわけさ。集落を移してからも、根屋は上の方に立派に造ったそうだ。


 それから、渡具知には東御嶽と西御嶽という有名な御嶽があるでしょう。その二つの御嶽と村の根屋の三か所が後ろ盾になって護られている渡具知のような、活力があって栄えている字はないという、昔からの話だ。そういう話が私らに受け継がれているわけだ。


 その前の潟原には何十年いたのか分からないがね。渡具知集落が潟原にある時にね。丁度、潟原の集落に沿うようにして、三間(一間は約1.82m)ほどの川ができていたそうだ。


 集落は小高いところにあり、また南の方も山なので、潮の干満にも膝上少しぐらいまでしか海水は上がってこなかった。なので、渡る時にも(ふんどし)が濡れるくらいの深さを行き来していた。満潮時にもそれぐらいの深さだったというんだがね。


 渡具知に港が造られたのも、潟原にあった三十世帯が上の方に移動してからだという。時が経つにつれ人の行き来も多くなり、山を荒らす者も出たんでしょう。山を切り開いたら、水もあふれて川もできた。


 そのように渡具知集落は潟原から移ってきたが、この渡具知の根屋というのはどこへも移動させてはいけない。潟原で三十世帯から始まった渡具知部落が七十世帯になり、今では百世帯余りまで発展しているわけだ。


 そのように栄えてきた渡具知部落だからね。是非とも戦前のあの集落地に戻り、発展していけるように、元の風水に沿った集落の形を造らないといけないと思っている。年配の方々も、また若い人たちで屋敷のない人たちも、元の集落地で頑張らないと、これからはやっていけないと考えている。区長さんも自分らも、一日も早く元の集落地に戻れるようにしようと、話をしているんだがね。


 それからまた、根屋の前は昔のアシビナーだった。また、ゥンマイー(馬場)は潟原にいる頃から根屋の前にあったそうだ。そこで裸馬に乗って訓練などをした。しかし、そこももう戦争の時に壊されてなくなってしまったのが、残念である。



 だから、元の形に戻してくれと、米軍に要望するというわけさ。だから、それが肝要なことで、渡具知がこれから発展するためにも、是非ともかつての風水を手本にして、ムラづくりに力を注いでいかねばならないと考えているよ。

videocam
theaters
location_on
picture_as_pdf

解説

比謝川北岸に位置し、西は東シナ海に面し、渡具知は比謝川の流れと共に、悠久の時の中で、早い時期から人が生活を営んできた古い集落である。地区内には、比謝川に面した縄文時代相当期の東原遺跡や、イリヌハマ(西ヌ浜)に面した砂丘上に、弥生時代相当期の木綿原遺跡などもある。また、本島内有数の天然の良港に恵まれた渡具知は、古来、人や物の交流の拠点でもあり、歴史の重大な変換点には必ずと言ってよいほど渡具知は姿を現している。 伝説では、北山の仲宗根按司の避難の地と伝えられ、後世、薩摩の琉球侵攻の折には、1609(慶長14)年3月25日、薩摩軍はこの地に上陸したと記録(「喜安日記」)が残されている。 1945年の米軍の沖縄上陸作戦では、渡具知前ヌ浜(米軍はイエロービーチと称した)は、上陸拠点のひとつとなり、さらには物資の陸揚げ基地とされた。 戦後、米軍基地として接収され、耕地を奪われた人々が、遥かな八重山への開拓移民として出航したのも渡具知港からであった。 大戦とその後の基地化は、故郷の風物を多く破壊、消失させたが、復帰後、軍用地の返還に伴い、復帰先地公共施設整備事業が実施され、徐々に帰住が進み、破壊された湧泉や、拝所も字民の強い思いで、改めて祀られ、年中行事も復活した。 戦前は、河川と外洋に面した良港を持つ地の利を生かして、農業と共に漁業も盛んであった。 復帰後は、スイカ、メロン、花卉類など集約型の農業を発展させ、1995年には、豊かな村づくり部門で農林水産大臣賞を受賞している。 海と川という自然に恵まれた渡具知は、歴史の降り積もった風光明媚の地である。また、隠れた野鳥の宝庫でもある。 西ヌ浜には、留鳥のクロサギやシロチドリに混じり、季節に応じて、準絶滅危惧種に指定されているベニアジサシや、エリグロアジサシなども姿を見せる。 西ヌ浜沖合いに広がるイノー(礁池)はソフトコーラルに彩られ、一時減少した珊瑚も徐々にその数を増しつつある。

字マップ

アクセスマップ