読谷村しまくとぅば「むんがたい」

比謝右京 ひーじゃうちょー

話者 佐久川政喜(1925・T14) 地域 比謝 時間 02:05
  • しまくとぅば
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 (ぅんかしー)比謝(ひーじゃ)部落(ぶらく)んかい比謝(ひーじゃ)右京(うーちょー)んでぃる(ちゅ)ぬめんしぇーたしが。うぬ(ちゅ)ぉでーな五体(ぐてー)んまんでぃ、力持(ちからも)ちの武士(ぶし)やみしぇーたんでぃしが。平生(ひーじー)、うぬ(ちゅ)が、煙草(たばく)(ぶぬ)(いし)さーに(ちゅく)らっとーる煙草(たばく)(ぶん)でー、普通(ふつう)(ちゅ)のー(たー)ちぬ(てぃー)しん()()ぎゆーさんあたいぬ煙草(たばく)(ぶん)やたんでぃしが。


 うりあんすか武士(ぶし)やぐとぅ、(ぅんかし)()(だみ)しんでぃやーに、(びち)から(ちから)勝負(しゅーぶ)しーが(ちゅー)習慣(しゅうかん)()てーるふーじやしが。うぬ比謝橋(ひじゃばし)ぬ、(なま)交通(こうつう)安全(あんぜん)(とう)がある(とぅくる)までー、山原(やんばる)(せん)()っち(ちゅー)(みなと)やたしが。うぬ(みなと)ぬんかい船頭(ふなとー)(たー)が、其処(うま)かい比謝(ひーじゃ)右京(うーちょー)でぃる(かた)でーな五体(ぐてー)ぬまんどーんでぃ(くとぅ)んでぃ()やーに、()(だみ)ししーがんち(ちゃ)くとぅ。


 うぬ比謝(ひーじゃ)右京(うーちょー)でぃる(ちゅ)自分(どぅー)(とぅじ)んかい、「彼処(あま)からなー煙草(たばく)(ぶん)()っち(ちゃー)にかい、うぬ(ちゅ)んかい是非(じふぃ)なー煙草(たばく)(ぬー)んうさぎれー」んちょーるふーじーぬ(はなしー)(ぅん)じてぃちゃくとぅ。うぬ(とぅじ)()()ぎてぃ(ちぇー)煙草盆(たばくぶの)ぉ、普通(ふつう)(ちゅ)のー(たー)ちん(てぃー)しんちょーん()ちうーさんあたいぬ、でーな(いし)(ちゅく)らっとーる()がさる煙草盆(たばくぶん)なやーにかい。うぬ船頭(ふなとー)(ちゃー)やうり(んー)じゃーに、()(だみ)しどぅくろーあらん、なーすぐ這這(ほーぼー)()()んぎてぃ(ぅん)ぢゃんでぃる()(つた)えが、比謝(ひーじゃ)右京(うーちょー)(はなし)()たしが。


 くれー、(とぅない)ぬお(じい)さんから(わっ)たーが十歳(とぅー)びかーないに、()ちぇーる(はなし)るやくとぅ、まー、うる(うび)るやくとぅ、はっきれーさんしが。とにかく、そういう比謝(ひーじゃ)右京(うーちょー)んでぃる大武士(うふぶし)(をぅ)たんでぃぬ(くと)(なま)までぃ(うび)とーしが。なー、うぬあたいるやんでー、(わん)()かいしぇー。

 昔、比謝の部落に比謝右京という人がいらっしゃった。その人はとても体格もよく、力持ちであったらしい。普段、その人が使う煙草盆は石で作られていて、普通の人が両手でも持てないぐらいの煙草盆だったそうだ。




 比謝右京はそれほどの大力者で、昔は賭け試しといって、他所から力勝負に来る習慣があったようだね。比謝橋には、現在の交通安全の塔がある所まで、山原船が入って来るような港があった。その港に停泊した船頭たちが、そこには比謝右京というとても力持ちがいると聞いて力勝負にきたそうだ。



 そしたら、比謝右京は妻に、「向こうから煙草盆持って来て、その人たちに煙草でも差し上げなさい」と言ったようだ。すると、妻が持ってきた煙草盆は、普通の人が両手でも持てないような、石で作られた大きな煙草盆だった。船頭たちはそれを見て、力勝負どころではなく、すぐさまあちこちへ逃げて行ったという言い伝えがある。それが、比謝右京の話なんだよ。



 これは、隣のお爺さんから私らが十ぐらいに聞いた話で、うろ覚えだから、はっきりは分からないがね。とにかく、そういう比謝右京という大力者がいたということは今でも聞いて覚えている。もうそのくらいだね、私が分かるのは。

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