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序章 近代日本と戦争
安仁屋政昭

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 千島のおくも沖縄も

 近代日本が、アジア・太平洋地域に領土を拡大していった道すじを、小学校唱歌によってたどってみよう。「蛍の光」は卒業式の歌として知られている。原曲はスコットランド民謡の「久しき昔」というものであるが、明治政府はこれに日本語の歌詞をつけ、小学校唱歌として全国に広めた。一八八一年(明治十四)のことである。
 第一節の「ほたるの光、まどの雪」と、第二節の「とまるもゆくも、かぎりとて」までは、大方の人なら歌った記憶があるだろう。この「蛍の光」には第三節・第四節がある。
 第三節は、「つくしのきわみ、みちのおく、うみやまとほく、へだつとも、そのまごころは、へだてなく、ひとつにつくせ、くにのため」とある。
 「つくし」(九州)と「みちのおく」(みちのく=陸奥・東北地方)が、本来の日本の領域だということを示したものだろう。
 第四節は、「千島のおくも、おきなはも、やしまのうちの、まもりなり。いたらんくにに、いさをしく。つとめよわがせ、つつがなく」となっている。
 「千島」も「沖縄」も、日本の領土であることを誇示しているのである。
 一八七五年(明治八)の「樺太・千島交換条約」によって樺太(サハリン)はロシア領、千島を日本領として国境を画定した。琉球処分によって一八七九年(明治十二)に沖縄県を設置して南の国境を画定した。これによって琉球(沖縄)が日本領となったことを認識させようとしたのである。沖縄は置県当初から「国権拡張の前縁(ぜんえん)」と認識されていたことがわかる。
 ところで、一九〇六年(明治三十九)の「教育唱歌集」(文部省検定済)では、第四節の歌詞は、「台湾のはても、カラフトも…」となっている。日清戦争の戦勝によって、一八九五年(明治二十八)の下関条約で台湾を領有し、日露戦争の戦勝によって、一九〇五年(明治三十八)のポーツマス条約で北緯五〇度以南の樺太(サハリン)を獲得した結果である。限りなく対外膨張を志向していった時代思潮・教育政策を反映したものである。
 太平洋戦争のとき、第四節を「昭南のはても、アリューシャンも…」と歌わせる教師たちがいた。日本軍は、一九四二年(昭和十七)にシンガポールを占領して「昭南島」と命名し、アリューシャン列島のアッツ島を占領して「熱田島」と呼んでいた。「日の丸」を押し立てての進軍であった。少国民と呼ばれた少年たちは、「シンガポールの朝風に、今ひるがえる日章旗」と誇らかに歌った。

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