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第一節 読谷山村における沖縄戦
比嘉隆

1 はじめに

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 沖縄戦はアジア・太平洋戦争の末期一九四五年(昭和二十)三月下旬から六月まで、沖縄本島を主戦場に戦われた日米最大の戦闘であった。
 それに沖縄守備軍(第三十二軍)の作戦方針が徹底した「戦略持久戦」であったので、「鉄の暴風」と形容されるほどの激しい砲爆撃が三か月以上も続くことになった。そのため、住民を巻きこんだ沖縄戦での戦闘は、日本の歴史のなかでも凄惨極まり無い日米最後の地上戦として特筆されてきた。米軍戦史でさえ、「ありったけの地獄を一カ所にまとめた」ような戦闘と記したほど血で血を洗う凄絶悲惨な攻防戦であった。
 本稿では沖縄戦の概況を記述するのが目的ではないので、沖縄戦の特徴等について触れないが、沖縄戦の最大の特徴が正規軍人を上まわる一般住民の犠牲がはるかに大きかったという点は把握しておく必要があろう。
 一口に沖縄戦といっても、戦争に巻きこまれた一人ひとりの体験はみな異なっていてその全容をとらえることは至難の業である。それに、沖縄戦が数十万の一般住民を巻きこんでの戦闘であっただけにその痕跡は複雑多岐にわたり深い広がりを持っている。地域によっても作戦の性格や戦闘の状況は異なってくるし、なによりも数十万の沖縄住民や日米両軍の将兵たちの個々の体験はすべて違う。まして死んでいった人々のそれは語られることはなく、生き残った人々のものもごく限られたものでしかない。従って戦争の全容を見通すことは、まず不可能であるし、とらえにくい。そのことは、むしろ戦争そのものが適切に表現する言葉もないほど、非人間的な悪業に充ちているからではないだろうか。
 このように見ると、沖縄戦の実相を把握することは困難であるが、本稿では読谷山村民と沖縄戦とのかかわりを、▽北(読谷)飛行場建設計画の一九四三年(昭和十八)頃から▽沖縄戦の前哨戦ともいうべき一九四四年(昭和十九)「十・十空襲」までの様子▽戦時国家体制下での村民生活▽戦時中の避難と収容生活、戦後の復興(帰村の状況)等を見ることにする。

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