第四章 米軍上陸後の収容所
豊田純志


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 沖縄の住民を管理するために、米軍の各師団および軍にはA、B、C、D四つのグループからなる軍政チームが配置された。それぞれのチームの役割は次のようになっていた。
 Aチームは各師団に配置され、住民を戦闘地域から避難させて住民集結キャンプを設置すると戦闘部隊とともに移動する(四月一、二日に上陸)。Bチームは各師団と軍に配置され、Aチームの移動後住民集結キャンプを引き継ぐ(四月二、三日に上陸)。Cチームはキャンプチームとも呼ばれ、各師団を統括する二つの軍に配置される。約一万人規模のキャンプの設置、運営を任務とする(最初の上陸は四月三日)。Dチームは地区チームとも呼ばれ、駐留のはじめに上陸する(最初の上陸は四月二十七日)。沖縄が軍政地区に分割されると地区内のCチームを管理する。Bチームを吸収して六万から一〇万人規模の民間人地区を統治する。(『沖縄県史 琉球列島の軍政』二六頁から要約)
 沖縄本島に一二の民間人地区(離島も含めると一六地区)が設けられた七月に、軍政府機関はすべて第一〇軍のアイランドコマンドの管轄に移された。その後米海軍政府指令第一二号(一九四五年十月一日)でA、B、C、Dの各チームの名称も廃止された。
 以下上陸地周辺に設置された臨時の住民収容地区、読谷山村内の住民収容、そして沖縄本島に設置された一二の民間人地区についてみていくが、とくにことわらないで当時の市町村名で記述した。
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