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10 民間人収容所(難民収容所)の実態

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 米軍の上陸地点であった読谷山村では、上陸とほぼ同時に米軍に収容された人々がいた。夫を防衛隊にとられ、幼い子どもをかかえた女性や北部(山原)への避難はとても無理だという老人たち、それに米軍上陸を目前にあわてて避難を始めたが、直ぐに捕らえられた人々、各地のガマ(壕)などから生きた残った人々等々。それらの人々は都屋、楚辺等に収容された(村史編集室聞き取り調査)。
 「四月五日までに、嘉手納南部の金網内にいた千五百名の住民は島袋にトラックで運ばれ、ここで彼らは、MPのきめた境界線内での行動の自由を認められた。その他の収容所も、同じようにはじめられ、同じように閉じられたのである」
 沖縄には数十万の住民がおり、日本兵と非戦闘員を切り離し、占領後はこの方法で沖縄を統治しなければいけないという構想が早くも始動していた。そこで戦中、終戦間近の各地区の難民収容所の状況をみることにする。
 民間人収容所とは沖縄戦中から戦後一時期にかけて、米軍が一般住民を収容するために設置した施設で、当時はキャンプと称した。米軍は沖縄攻略作戦(アイスバーグ作戦)を実施するにあたり、あらかじめ占領地域の対住民政策をたて、多くの軍政要員を実戦部隊とともに送り込み、住民の保護に当たらせた。
 米軍は占領地域内の部落に収容所を設定、投降または米軍の管理下に入った日本の軍人・軍属と非戦闘員を選り分け、それぞれ別に収容した。

米軍に収容された老人と晴れ着を着た子ども
 各収容所(地区)では、米軍によりメイアー(Mayor・市長)、CP(Civilian Police・民間警察)が任命され、収容民への物資の配給、住居建設作業の手配、軍命令の伝達、収容地区内の治安維持などに当たった。また、一般の者は、畑に残った作物の収集や残存家屋の解体、移動予定地での住宅建設などに当たり、特に男子に限り死体の処理やDDT散布などの作業に駆り出される者もいた。
 一九四五年(昭和二十)頃の住民収容地区(市)と人口は次のとおりである。

[表3]住民収容地区(市)と人口
石川市
二三、〇三三人
辺土名市
二九、四九七人
田井等市
五五、二六六人
漢那市
二七、六六一人
宜野座市
三七、〇三六人
古知屋市
一九、一九四人
久志市
二九、〇二七人
瀬嵩市
二八、六八〇人
前原市
四〇、一八三人
胡差市
一〇、二八六人
知念市
一七、九一四人
平安座市
七、九九二人
合計
三二五、七六九人

『沖縄市町村三十年史上巻通史編』昭和五十八年発行三四頁

〈参照〉
[表4]読谷村民各地区分散居住状況調 (一九四六年九月)資料仲本政公氏提供
 
石川
コザ
前原
中川
漢那
宜野座
久志
田井等
辺土名
喜名
442
93
13
154
309
116
38
85
45
1,295
親志
102
12
 
9
16
51
 
12
30
232
座喜味
584
79
41
222
376
114
16
15
9
1,456
伊良皆
227
26
42
56
70
23
48
5
4
501
上地
39
10
13
6
10
 
 
1
 
79
波平
1,066
237
7
102
290
17
 
7
 
1,726
高志保
298
24
 
439
138
1
4
 
 
904
渡慶次
583
23
15
53
98
208
17
13
 
1,010
儀間
353
3
 
45
82
64
14
20
4
585
宇座
250
30
 
189
350
10
6
5
 
840
瀬名波
556
19
29
42
64
77
3
17
5
812
長浜
791
11
3
53
38
 
5
4
3
908
楚辺
1,293
38
35
28
28
40
12
41
2
1,517
渡具知
263
16
15
4
19
89
36
22
41
505
比謝
137
23
32
17
15
74
10
5
8
321
大湾
166
11
9
20
52
71
64
32
 
425
古堅
223
36
16
 
19
176
15
21
4
510
大木
220
10
4
 
4
5
12
 
 
255
比謝矼
113
16
13
 
 
51
8
3
 
204
牧原
278
36
19
7
 
32
 
11
 
383
長田
64
9
 
39
25
 
 
 
6
143
8,048
762
306
1,485
2,003
1,219
308
319
161
14,611
 「国頭、羽地、金武、久志各村の山中にさまよい続けた村民は終戦後米軍の保護を受けながら食を求め或は故郷の近くにと石川、中川、漢那、宜野座、コザ方面に次第に集団するようになった」(読谷村役所発行『村の歩み』80頁)。

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