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1 戦時下の公務員の職務遂行
『昭和十八年日報綴 楚邊駐在所』から、当時の駐在所業務の一端を見ることにしよう(旧漢字は新漢字に改めた)。 五月一日の「兵事の部」には、「所在不明者捜索手配に関する件 左の通り渡久地署長より通報有る其の持区内再度手配せらるべし」として「本籍国頭郡今帰仁村字湧川□□□ 戸主□□長男 □□□□大正一二年□月□日生 徴用工員なるも一時帰省所在不明となる」とあり、捜索依頼があったことを示している。「徴兵処分未済者所在不明捜査手配」等の人身捜査依頼は随所に見られることから、徴用や徴兵等から逃避した者が少なからず居たことを示している。 五月八日の「衛生の部」には、「伝染病予防法及結核予防法並癩予防法に依る医師届出に関する件」のなかで、「大東亜戦下国策としての人的資源確保の要切なるに鑑み政府」は「国民優生法」を公布して、「量質共に健全なる国民確保」を期しつつあるのに、医師が報告を怠っているので、「届出義務履行」を督励し、開業医に法の趣旨を知らしめて、それでも違反のある者(医師)は検挙に努めよとの示達がある。同日の「文書督促の件」には、「一、昭和十八年四月十二日付 海外帰朝者等調査に関する件 未報告者 喜名 渡慶次 第四区 桑江 胡屋 宇久田」、「二、昭和十八年四月八日付 嘉特秘二二二号 米英音楽蓄音機レコード一斉取締実施に関する件 未報告者 第四区 喜名 渡慶次 桑江 胡屋 宇久田 東恩納」とあり、いずれも時代を反映している。 六月五日の「徴用工員逃走犯手配に関する件」には、大村第二十一海軍航空隊所属で「朝鮮忠清南道」出身の二人の徴用工員が「共謀の上逃走」したので「厳重手配」せよとあり、朝鮮半島出身者が沖縄に来ていたことが分かる。 六月八日の「特高の部」には、牛乳配達をしていた読谷山村字渡慶次の□□□□(十三歳)□□□□(十一歳)が六月七日午前五時半頃「高志保と渡慶次の中間の石粉採掘場付近」でスパイ容疑者を見たとの申告があるので手配するとの内容が記されている。容疑者は「人相 半ズボン 靴 背高 色白 年齢三十四歳位 本県語を使用す 特徴 蚊に刺された痕跡身体中にあり」となっている。 六月十五日では、「軍人軍属に対する酒類時間外販売取締に関する件」として、従来制服の軍人に限り例外的取扱をしていたが、「特別の場合を除き爾今一般国民の一員として軍人を特別待遇することなく販売時間外に於ける酒類の販売を厳禁する」旨、西部第四一一三部隊長より通牒があった、としている。同日の後半には、「荷馬車運送業組合結成も終り愈々本格的報国軌道に乗りつつある事同慶の至りに有」と見え、このころには各地に荷馬車組合が結成されていたことを知ることが出来る。 七月十九日には、「密屠殺の取締強化に関する件」として「近時密屠殺業者の動向巧妙を極め常習者等に於いては之が取締の緩急を慮り昼間に於いて為す等或は定例召集等を見計ひ為して屠肉も午後八時以後に於て戸別訪問の方法に依り為す」といった状況であり、「徹底的払拭」の必要があり、取締り検挙に尚一層尽力せよ、となっている。 |
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