読谷村史 > 「戦時記録」上巻 > 第二章 読谷山村民の戦争体験 > 第三節 それぞれの体験

3 防衛隊・男子学徒隊

<-前頁 次頁->

 召集の手順

 先述したように、防衛召集の原則は「陸軍防衛召集規則」に基づくもので、聯隊区司令官名においてなされるものとはいいながらも、直接の人選に当たっては各村の兵事主任の所管する事務でなければならず、したがって各部隊からの員数の要求に際しては、兵事主任による該当年齢者の頭数合わせに過ぎなかったのである。
 それで召集令状による集合者の中には不適格者の病人や身体不自由者も含まれており、部隊側は兵事主任にさらに補充を求め、十六歳以上五十歳まで適用年齢を拡大して令状を発行した例もあったという。
 一般の防衛隊が兵事主任を通し、聯隊区司令官名で召集されたのに対し、学徒隊は学校ごとに軍に徴され、鉄血勤皇隊を結成して従軍した純然たる防衛隊(員)であった。
 大田昌秀はその著『鉄血勤皇隊』の中で、第三十二軍の駒場少佐による軍司令官命伝達を次のように記している。
「沖縄師範学校職員生徒は第三十二軍司令官の命により、本日より全員鉄血勤皇隊として軍に徴された。今や敵の沖縄上陸は必至である。諸君は全力を挙げて…(後略)」(一二頁)。
これを見ても鉄血勤皇隊とはいえ、軍に徴されたからには軍司令官直接命令による防衛召集にほかならない。ということは兵事主任とは別ルートの防衛召集であり、それは鉄血勤皇隊を編成し従軍した他の中等学校も同じである。

<-前頁 次頁->

読谷村史 > 「戦時記録」上巻 > 第二章 読谷山村民の戦争体験 > 第三節 それぞれの体験