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5 「集団自決」
當山正喜

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 概要

 読谷山村民の「集団自決」による犠牲者はこれまで判明しただけで一三〇人(村史編集室調べ、二〇〇一年一月末現在。「平和の礎」資料より)にのぼる。
 「自決」の形はさまざまだ。親が愛しい子どもを刃物で突き刺したり、絞殺したり。また毒物の投与によるものや、手榴弾自爆、入水自殺など時の環境や緊迫した状況によって異なる。
 そうした「事件」による死亡者は波平をはじめ楚辺、伊良皆、長田などの各部落にまたがっている。中には記録に残されることもなく、ひそかに少人数で「自決」した人たちもいたことだろう。「自決」者の実数は調査が困難のためいまだに完全には把握できないので、一三〇人の死がすべてだと結論付けることはできない。
 沖縄戦中に「集団自決」をしたのは旧日本兵、非戦闘員が含まれるが、圧倒的に多いのが非戦闘員すなわち一般住民である。「自決」は、例外的なものを除けば、家族単位か壕単位で行われた。忘れてならないのは、「集団自決」が起こったのは日本軍が配備された地域である、ということだ。本島南部、慶良間諸島、伊江島そして読谷の共通点は「集団自決」と「日本軍配備」の事実である。
 この一例からみても、「集団自決」は軍人らの自決とは明らかに異質で、戦時体制の中で、日本人として捕虜になってはいけないという信じ込みと軍の強制または誘導によって、死へ追い込まれたのが多かったと思われる。沖縄戦でいう「集団自決」のほとんどがそうであり、戦争犠牲の中でひと際悲劇的といっていいだろう。

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