第一節 防衛庁関係資料にみる読谷山村と沖縄戦
読谷山村への日本軍部隊配備


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2 部隊の構成と名称

 一九四四年(昭和十九)三月二十二日、沖縄(南西諸島)防衛を任務とする大本営直轄の第三十二軍が新設された。大本営陸軍部は第三十二軍(及び台湾軍)の作戦準備の準拠として「十号作戦準備要綱」を発したが、そこに「本作戦準備ハ航空作戦準備ヲ最重点トシ爾他ノ事項ハ之ニ従属ス」との方針が記されている(注5)。第三十二軍の主任務は航空基地の設定とその防衛であったが、当面は飛行場の建設が急務であった。発足当初の第三十二軍は、以下の通りで、飛行場部隊を中心に編成されたものであった。
1、軍司令部
2、第十九航空地区司令部
   第五〇飛行場大隊
   第二〇五飛行場大隊
   独立第三飛行場中隊
3、奄美大島・中城湾・船浮湾要塞の各部隊
4、第六・七・八要塞建築勤務中隊の各部隊
 第三十二軍(沖縄守備軍)が沖縄本島へ実戦部隊を配備したのは、一九四四年(昭和十九)六月以降であった。六月十五日、サイパン島に米軍が上陸し、七月上旬には日本軍のサイパン守備隊は壊滅した。こうしてフィリピン・台湾・南西諸島・本土・北方の各地域にわたる決戦準備(捷号作戦)へと至る。この作戦により、第三十二軍に、第九師団、独立混成第四十四旅団、第二十四師団、第六十二師団などの部隊が逐次編入され、強力な軍となり決戦準備を進めていった。しかし、米軍は日本が設定した絶対国防圏の守備軍を次々と破り、昭和十九年十月十日、フィリピンのレイテ島上陸(十月二十日上陸)を控え、後方支援基地となる南西諸島の飛行場を中心に爆撃した。大本営では、十月下旬レイテ決戦を指導し、十一月沖縄本島より第九師団を台湾へ転出することを決めた。精鋭部隊といわれた第九師団の抽出は第三十二軍に大きな影響を与え、それは後述する読谷山村への部隊配備にも影響した。
 次に陸軍部隊の編成と種類、そして通称号について述べておきたい。
 第三十二軍は、師団、旅団、連隊、大隊などの部隊によって編成されている。師団とは、いくつかの旅団や連隊をまとめた総合的な部隊である。旅団は師団よりも小規模な総合部隊で、司令部の他、歩兵連隊や大隊を持つ。連隊は旅団よりも小さく、編成は連隊本部の他、大隊、通信中隊、歩兵砲中隊、速射砲中隊などからなる。大隊は連隊よりも小規模で、編成は大隊本部の他、数個の中隊、機関銃中隊、歩兵砲小隊などからなる。中隊は大隊よりも小さく、指揮班の他、数個の小隊からなる。中隊の兵員は約三〇〇人、小隊は五〇〜六〇人で、さらにその下に分隊、班などがある。
 兵隊の種類は、歩兵、砲兵、戦車兵、橋や陣地構築などを担う工兵、弾薬・食料を運ぶ輜重兵、衛生兵、通信兵、船舶兵(暁部隊)、兵器管理や修繕・整備を行う兵器勤務隊などがある。以上の陸軍兵科のほか、海軍部隊、航空地上勤務(飛行場関係)部隊、陸海軍航空飛行部隊などがある。
図1 第三十二軍指揮下主要部隊概見表(昭和二十年四月頃)

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 日本軍の部隊は、通常正式な部隊名と通称号を持っている。『戦史叢書 陸海軍年表 付 兵語・用語の解説』によると「防諜上の必要により固有の部隊名のほかに、特に定められた部隊の称号をいい、通称部隊名または通称名とも呼称され兵団文字符と通称番号により成って」(三七〇頁)おり、通称は暗号のようなものであった。住民からの聞き取りでは、正式部隊名よりも「球」「山」などの通称を記憶している人がほとんどである。たとえば、北飛行場に駐屯した正式部隊名「第五十六飛行場大隊」についても、ほとんどの証言で「球九一七三部隊」という呼称が用いられる。
 第三十二軍司令部は通称「球一六一六部隊」であった。通常旅団は師団の配下でその指揮を受けるが、沖縄本島に配置された独立混成第四十四旅団と、石垣島に配置された独立混成第四十五旅団は、師団の指揮に拠らず、第三十二軍司令部の指示により行動した。これらの独立混成旅団も「球部隊」と呼ばれ、軍直轄部隊(航空地区部隊や船舶関係部隊、高射砲関係部隊など)や、軍砲兵隊の各部隊も「球」の通称号で呼ばれた。海軍部隊については、字喜名、長田、牧原出身者などからの証言に、山根部隊と巌部隊という部隊名がよく出てくる。山根部隊とは山根巌少佐率いる「第二二六設営隊」、巌部隊とは「南西諸島海軍航空隊」のことである。部隊の名前については、正式な部隊名と通称号、さらに中隊や小隊などは、「光本隊」「神谷小隊」「重信班」など各中隊長、小隊長、班長の名字で呼ばれる場合もある。
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