第一節 防衛庁関係資料にみる読谷山村と沖縄戦
空襲と艦砲射撃


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4 一月四日の空襲

(天気、小雨、雲高 低ク視界極小、風 北方向、風速 約七米)
 沖縄本島に午前十時から米艦載機約三〇機が来襲した。主として北、中飛行場と小禄飛行場及び那覇港を銃爆撃した。読谷山電波探信儀(読谷山岳在 安武隊)が東南東の方向五〇キロメートルに侵入して来る不明機を捕捉、九時五十分に国頭監視から敵機一四機が上空を南下しているとの情報を得て、軍は九時五十五分本島地区に空襲警報を発令した。そして、十一時に同警報を解除した
 地元ではこの日の空襲を「ハイトゥーヤー(一過性)空襲」と呼び記憶している。渡慶次の玉城※※も「一月三日、四日のは、空襲のうちに入らないですよ。あれはわずかなものでしたから」と語っている。また座喜味の玉城※※も「バンナイバンナイはしなかったよね。この日の空襲は、雨がカタブイ(片降り・通り雨の意)するような爆撃で、すぐ終わりだった」と語っているとおりである。
野戦高射砲第七十九大隊第一中隊(一三五名 字座喜味在)の戦闘詳報
 「八時三十分陣地内兵舎ニ於テ射撃教育ヲ実施中 十時四分突如一〇〇〇(東)方向ノ台上(嶺)ヨリ超低空ニテ急襲十三編隊ニテ北飛行場北側ヲ襲撃セリ 中隊ハ直ニ射撃準備完了セルモ敵機ハ若干ノ機銃掃射セルノミニテ西南方ニ脱去ス」
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