第二節 『モリソン戦史』から見た「十・十空襲」と読谷山


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レイテ上陸作戦の一環としての「十・十空襲」

 モリソンは、沖縄について「沖縄は、逆U字の頂点に立つ地点で、日本本土からの中継基地として重要である。逆U字の頂点から台湾を経由して、南方戦域や中国南方へ進撃出来る重要な地点だ」と、沖縄の地政学的な視点を述べ、もし、沖縄に計画通り航空機が配備されると、米軍にとって不利な状況となることから、これから始まるフィリピン作戦の前に、叩いておくべき地域として沖縄、台湾を挙げています。
 米第三八空母機動部隊所属の空母はトラック諸島の空襲、ガダルカナル島の反攻作戦、ニューブリテン島のラバウル日本海軍航空基地の空襲と航空機消耗戦、パラオ諸島のペリリュー島、アンガウル島上陸作戦などに参加した、言わば歴戦の空母群とパイロットで編成されていたのです。
 米軍はアドミラルティ諸島付近海域の掃討を終わると、艦隊泊地として使用し始め、ラバウルを無力化し、ニューギニアの日本軍を孤立させました。さらにフィリピンへの足掛かりと、日本の委任統治領政治の中心地パラオ攻撃の拠点としたのです。
 九月二十四日には沖縄攻撃に先だって、ペリリュー島の上陸作戦支援の空母部隊が、アドミラルティ諸島の主島マヌス島のシーアドラー港を出撃したことは先に述べました。
 同空母群は、パラオ本島北東のコッソル水道(コッソル泊地の北西出入口)を艦隊泊地として、連日地上戦闘の行われているペリリュー島の日本軍陣地と、パラオ本島や南洋庁所在地のコロール島への空襲を行っていました。
 コロール島は米軍艦艇の包囲下にあって弾薬の補給はおろか食糧の補給もできず、日本軍将兵や移民たち、現地住民は、戦死者よりも餓死者のほうが多かったと言われています。
 第三艦隊旗艦直率の第三八空母機動部隊第二群は、十月四日ウルシーを発進し、アドミラルティ諸島から赤道を越えて北上してきた同第一群と同月六日頃合流し、さらにパラオ地域から向かっていた同第三群も加わり、全艦艇九六隻になっていました。これらの大艦隊は、それこそモリソンの言う「カジキ(カジキは、西欧で悪魔の使いと言う)の群れのように」太平洋の荒波を蹴立てて突き進みました。
 こうした空母機動部隊の、戦爆連合一〇八一機(延べ機数ではない実数)を迎え撃たねばならない日本軍の備えはどうだったでしょう。
1944年12月12日フィリピン攻撃後、投錨地ウルシーに入港する第3戦隊(TG38-3)
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