第二節 『モリソン戦史』から見た「十・十空襲」と読谷山
資料3 日本軍機による「特攻」と米艦船被害
特攻と砲撃・触雷による米軍損害
1945年3月19日〜同年6月30日までの記録。
特攻による沈没艦船28隻
(V記号はビクトリー型貨物船)
特攻による損傷艦船104隻
(内訳
は特攻機が2機突入したが沈める事が出来なかったことを表示)
陸上からの雷砲撃・マルレ艇・機雷による損傷・沈没艦船13隻
以上を表にまとめると以下のようになる(
Victory in the Pacific, APPENDIXU, Samuel Eliot Morison より作成)。
特攻による沈没艦船の多くは駆逐艦以下の小型艦艇と、鉄板構造の貨物船・上陸用舟艇である。“鋼板の厚い大型艦は沈める事が出来ない”と、海軍省に報告書を提出した海軍軍令部の試算どおりの結果である。
出典
Victory in the Pacific. By Samuel Eliot Morison(『モリソン戦史 太平洋の勝利』)
『米海軍年鑑』1946年刊行
米軍被害と日本軍航空総攻撃
特攻を含む日本軍機による航空総攻撃及び米軍の被害艦船をまとめた。菊水一号から菊水十号までの名前で呼ばれる航空総攻撃は、米軍上陸後の4月から6月まで続いた。住民体験記によると、米軍上陸直後に読谷山村で収容された住民は、日本軍による航空攻撃が激しく危険だったと語っている。
日本軍機による総攻撃は服部卓四郎『大東亜戦争全史』原書房より作成
1945年4月11日戦艦ミズーリに迫る特攻機「ゼロ戦」
メインデッキの下方(側面)にわずかな損傷を与えたのみだった。
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1945年4月16日特攻機による攻撃で炎上する
空母イントレピッド(写真後方)
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1945年5月11日特攻機による攻撃で炎上する
空母バンカーヒル
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