第三節 『沖縄県史 アイスバーグ作戦』にみる読谷山
吉浜忍


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はじめに

 アイスバーグとは「氷山」のことである。アイスバーグ作戦は米軍の沖縄攻略作戦の暗号名であるが、その由来については現段階ではわからない。ちなみに、米軍の南九州上陸作戦はオリンピック(一九四五年十一月上陸予定)、関東上陸作戦はコロネット(一九四六年三月上陸予定)と名付けられていた。これらも暗号名であり、その命名の由来は不明である。推測の域を出ないが、米軍の最終目的は日本降伏であり、沖縄攻略はそのための「氷山」の一角であり、南九州攻略という「オリンピック」で金メダルを獲得し、関東を攻略することでコロネットという「王冠」を被る、という勝利の道筋を描いていたのではないだろうか。
 日本軍の作戦は、前線を重視するあまり、補給線等、後方態勢までは思いが及ばなかった。反対に米軍の作戦は軍事物資の補給(兵站)を重視した。このことが端的にあらわれているのがアイスバーグ作戦計画である。米軍は徹底した沖縄情報の収集・分析を行い、そして驚くことに日付なしの「ニミッツ布告」を準備したことでわかるように、勝利を確信し、占領計画までも立てていた。
 アイスバーグ作戦においては、正確な沖縄情報、圧倒的な物量、それに加えて用意周到な準備と緻密な作戦計画であった。
 本稿では、アイスバーグ作戦計画の概要を、なかでも上陸地である読谷村の情報を詳細に紹介し、さらに米軍本島上陸前後における日米両軍の実際の戦術や戦闘の様相について軍事的視点から描くことにする。
沖縄県教育委員会発行『沖縄県史資料編12 アイスバーグ作戦沖縄戦5』
(和訳編)と同(原文編)(右)
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