第三節 『沖縄県史 アイスバーグ作戦』にみる読谷山


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四 兵站計画

 近代戦ではいかに兵站を確保するかが勝敗の鍵を握る。アイスバーグ作戦計画には、食糧・装備・衛生、さらに物資集積施設建設や前線への輸送体制などを主な任務とする工兵隊の綿密な計画も記されている。

食糧

「レーション」の一部(米軍が現在使用中のもの)
(金武町教育委員会提供)
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 米軍の食糧と言えば、携行食のCレーションやKレーションが知られているが、その他にもいろいろな食べ物を準備していた。栄養のバランスも考え、携帯口糧だけでなく、焼きたてのパンを供給するための製パン用の材料(小麦粉、粉末ミルク、戦時用ラード、食塩、イースト、砂糖)やコーヒーまで準備していた。まさに腹が減ってはいくさができぬという文言どおりのメニューである。
 特別レーションにはコーヒー・缶入りミルク・砂糖・果物・フルーツジュースが、特別食の航空機用レーションには鶏肉(缶詰)・七面鳥(缶詰)・ハム・ローストビーフ・ポークソーセージ・ウインナーソーセージ・ポークランチョンミート・コンビーフハッシュ・サケ・マグロ・イワシ・キャンディー・フルーツ缶詰・フルーツジュース・シリアル(クラッカー、クッキー)・乳製品(練乳、粉末ミルク、麦芽粉乳タブレット)・コーヒー・砂糖・アソートゼリー・コーンシロップ・チーズ・バター・オリーブ・ピクルス・野菜サラダオイル・ベーキングパウダー・味付用エキス・アソート缶詰スープ・小麦粉・食塩が入っている。
 強襲用食料パックにはフルーツ缶ジュース(グレープ、オレンジ、パイナップル等)・フルーツ缶詰(ナシ、モモ、フルーツカクテル、シロップ漬スモモ等)・野菜ピューレ缶詰(ニンジン、エンドウ豆、インゲン豆等)・乾燥スープ(クリーム状トマト、割りエンドウ等)・シリアル(オートミール等)、生小麦、鶏肉缶詰、鶏卵缶詰、練乳、ココア、コーヒー、レモンパウダー、砂糖、食塩が入っている。
 さらに病院用の食料や民間人用レーションとして、一人一日当たりの基準、米(例えば米は一四オンス)・大豆・油脂・魚缶詰・砂糖・食塩なども準備していた。
注 一オンス=約二八・三五グラム

装備

 装備の種類も豊富であり、その中には、沖縄戦直後の県民にとって、なじみの深いHBTのズボンやジャケットもある。日焼け予防クリームやリップスティックまで装備品に入っているのには驚く。
 個人に対してはウール製のズボン下・アンダーシャツ・手袋・ズボン・コート、綿製ズボンが支給され、また自由裁量品目としてHBTズボン・HBTジャケット・衣類用鞄(防水処理済)・食料用鞄(防水処理済)・箱マッチ(防水処理済)・昆虫除け棒・ウール製毛布・蚊除け手袋・蚊除け頭巾ネット・バスタオル・日焼け予防クリーム・リップスティック型ひび割れ予防クリームがある。
 最小限度の携帯品目には、衣服類(軍靴・ヘルメット・HBTズボン・HBTジャケット・木綿短ズボン下・木綿製下着・戦闘用ジャケット・ウエスト用網状ベルト・木綿製ハンカチ・軽量ポンチョ)、さらに個人携行品としてダッフルバック・昆虫除け棒・ウール製毛布・弾薬筒用ベルト・ピストル及び拳銃用ベルト・水筒・コップ・スプーン・フォーク・ナイフ・蚊除け頭巾ネット・バスタオル・避難用テントがある。

衛生

比謝川沿いの第145建設大隊貯水地区(沖縄県公文書館提供)
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 衛生計画では、負傷した米軍兵士の治療体制はもちろんのことであるが、占領地域の民間人に対しても責任を持つことが記されている。
 強襲時に負傷した兵士の中で入院が必要な者は、「艦船や水陸両用車用陸揚船に設置された病院に後送する」としていることから分かるように、米軍は病院専用船を用意していた。さらに強襲後負傷した兵士は、診察した軍医の判断によって「マリアナ諸島に空輸すること」とし、沖縄から約千キロメートルも離れたサイパン島・グアム島に病院を設置するという後方支援も計画されていた。
 また、「軍政府病院が地上に設置されるまで軍の負傷者の手当に支障のない範囲で民間人に最小限の医療行為を施す」ことや「軍病院が地上に設置されたら、民間人負傷者の医療手当の責任を負う」ことから、戦場でケガした民間人への治療や民間人用の病院の設置も計画されていたことが分かる。
 さらに、防疫給水も以下のように計画されている。「敵の攻撃よりも病気などによって戦闘能力が弱体化されてきたため疾病予防策を講じることが大切である」とし、水、食器、排泄物の処理、害虫の駆除、性病などについて衛生指令が出され、特に飲料水の補給については「一人一日二ガロンの蒸留水を供給し、二四万人の民間人に対しても一人一日〇・五ガロンの(水を)供給するため、蒸留装置や現地の水を浄化する装置の携行」が記されている。
注 一ガロン=三・七八五四一リットル

工兵隊

読谷の西海岸一帯に造られた物資の集積所を中心に
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 工兵隊は上陸地での兵站基地の建設や前線に物資を補給するための部隊である。軍道一号線や嘉手納ロータリー、ガソリンタンクやベイリーブリッジなどの建設で知られている。その工兵隊の優先順位を付けた建設計画は次のとおりである。荷揚げ施設の用意とボートの運用現存の道路修繕と海浜に通じる道路網の開発衛生管理活動の開始土地の確保ができ次第飛行場整備工事に着手通信施設を設置上陸後に水の補給体制を確立捕虜収容所と民間人の収容所を建設補給及び貯蔵所、基地の修繕施設の設置海岸線と荷揚げ施設の開発石油製品貯蔵用の既製品タンクの設置医療施設を設置軍政府の管理施設の建設石油タンク集合地域の開発ボート係留地の修繕及びサービス施設を設置海軍基地の建設開始交替要員を収容するキャンプと施設の建設開始休養とリハビリテーションのためのキャンプと施設の建設開始。
 兵員や物資を輸送する体制は大がかりであった。米陸軍の公刊戦史である『沖縄 日米最後の戦闘』によれば、上陸部隊の兵員と七四万七千トンの物資を、米国西海岸の一一の港から距離にして一万キロ、四三〇隻の船で輸送する。さらに上陸後は補給や基地建設工事のための資材を断続的に輸送することになっていた。
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