第三節 『沖縄県史 アイスバーグ作戦』にみる読谷山


<-前頁 次頁->

五 占領計画

 沖縄戦体験者は、心理作戦や捕虜の取り扱いについて身近に感じるものがあるだろう。「生命を助けるビラ」「沖縄の人民へ!!」「住民に告ぐ」のビラを直接手にした人や両手を挙げて投降し、米軍が指定した場所へ歩いた人。これらのことは米軍が撮影した写真にも数多く見られる。

心理作戦

 上陸七日前から一〇日前後までの期間は、「敵軍の士気をおとし、民間人には米軍部隊から遠ざかるようにビラで警告」する。ビラ五七〇万枚は太平洋統合情報センターから支給される。支給されたビラは、「空母一隻に、投下予定表・目標地図といっしょに搭載」し、投下時期については情報部が指示する。
 上陸日以後のビラは、「目標地で作成」し、水陸両用軍司令船において二五〇万枚を印刷する。上陸一一日以降は音声放送やビラを使用し、「日本軍の前線後方にいる民間人に対しては、指定の時間と場所に両手をあげ一列に並んで進むように指示する」と記されている。
 ビラは、「航空機や砲弾で投下」し、また「航空機に搭載した大音量拡声器や拡声器装備の戦車・トラック」で敵兵士に降伏をうながし、「民間人に対していつ、どのようにして米軍前線内に入ればよいかを直接指示する」ことも記されている。

捕虜

 捕虜は「敵軍の情報を得るため必要な期間拘束」し、陸軍情報部捕虜センターにおいて尋問する。さらに「民間人と成年男子は隔離し、身体検査をし、審査・分類し、資格について記録する」とし、捕虜の中で「軍事的価値のある情報を有していると思われる人物は尋問するため捕虜センターに連行する」と記されている。民間人の中で危険な態度を見せる者は憲兵隊長に引き渡す。また、「将校、下士官、その他の兵卒と民間人は分離収容」し、台湾人や朝鮮人についても「沖縄人と他の日本人と分離収容する」と記されている。尋問を終えた捕虜はまだ尋問を終えない捕虜と分離収容する。
 捕虜収容所は、「上陸日から四〇日目以内に、有刺鉄線や仮設用の柱などを用いて建設する」とし、「四〇日目以後は千フィート×千フィートの広さの収容所を用意する」ことも記されている。

軍政府計画

『沖縄県史資料編12 アイスバーグ作戦沖縄戦5』
(和訳編) 358頁より
画像
 米軍は沖縄進攻作戦において、進攻時の前線における民間人の人口予測表を作成し、民間人に対して水や食料の支給やキャンプの設営、病院の設置などを計画していた。沖縄本島を六つの地区に分け、本島東海岸の島々・伊江島・慶良間諸島をそれぞれ一つの地区にして、計九つの地区をつくる計画をしていた。
 米軍は作戦初期の段階で、民間人用レーション七万食を用意し、民間人収容所の設置も計画。収容所内での民間人の男女別、子供の数民間人労務者の数と仕事の数伝染病発生状況と場所などの報告も義務付けていた。
<-前頁 次頁->