第四章 米軍上陸後の収容所


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平安座地区

 四月三日に勝連半島を偵察した第一海兵師団は、四月七日平安座島に上陸、一五〇〇人の住民がいることを報告している。その後六月に与那城村の屋慶名住民の一部と宮城、伊計両島の六部落の住民が平安座島に移され、地元民を合わせ約七〇〇〇人余が平安座に収容された。
 当初から平安座市と呼ばれていたようであるが、九月に市会議員選挙、市長選挙があり、市会議員には一〇人、市長に山城(旧姓新垣)金造が選出された。
 平安座市成立前の人口は八〇三一人で(二七四頁参照)、その後十月の人口は七九九二人となっている(三一一頁参照)。
 一九四五年十月十四日に出された海軍軍政府指令第二四号「地区及び地区境界の変更」には、「左記の地区はこれを廃止する」として平安座地区を含む数地区を廃止している(三一二頁参照)。
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