第五章 帰村時行政文書等にみる村民移動


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村建設のバックアップ

 建設隊を資金や資材面から支えたのは、軌を一にして結成された読谷山村建設後援会であった。建設隊の任務遂行を支えて、全村民が一日も早く帰村できることを目的に、一九四六年八月十六日に結成された。
 村建設後援会の組織は、後援会長に宇座信篤氏、副会長に比嘉秀伝氏、幹事に山内繁茂・知花英夫氏、会計に仲本政公氏、前原地区代表は当山真志氏、田井等地区は大湾梅成氏、金武地区は石嶺伝孫氏、宜野座地区は渡久山朝盛氏、漢那地区は金城清純氏、久志地区は伊波真栄氏、辺土名地区は幸喜忠怒氏があてられた。
 後援会設立趣意書によると、その目的は「すべての犠牲を払って奮闘する設営先遣隊員の生活援護と移動促進」にあると言明。一般寄付、篤志寄付を募ることと、労働奉仕に参加することなどを謳っている。建設作業への協力では、親志、喜名以南の南部組と座喜味、上地以北の北部を北部組とし、隔週日曜日交替にて十六歳から六十歳までの男子は作業に出動するとした。追而(おって)で、「先遣隊は農耕班三五〇人建築二五〇人出ていますが建築班の賃金は政府負担ですが農耕班は村で負担しなければなりません」と述べ、村民一人あたり一〇円以上の献金を呼びかけている。物品提供では「字別に各戸より味噌を供出す」と具体的に記している。寄付金の目標額は十八万円と設定され、村民の意気込みは移動促進に多大なる貢献を果たした。
 だが、帰村を待つ村民のために着々と活動している最中、八月三十一日に急に「建設中止」「居住中止」の命令が米軍(民政府)から出され、やむなく建設隊を解散して、隊員はそれぞれの収容所に戻った。中止命令の理由は、米軍飛行場からの軍需物資の盗難が大きな理由であったということである。
 翌日には、知花英康村長は、又吉総務部長宛に「読谷村建設中止ニ関スル件」 として、中止命令の撤回方を訴えている。その内容は、一つ目に建設資材や農工具及び食器等を守るための要員の確保、二つ目に建設隊員の食糧代金の無料化、三つ目に建設隊員の職場復帰の保障、四つ目にとうてい移動が不可能ならマラリアに悩まされている国頭地方の村民を読谷に近い場所に移動、の四項目が柱となっている。
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