第六章 証言記録
戦災孤児たちの戦争体験
藤本愛美


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戦災孤児について

 一九四八年に行われた全国孤児調査(厚生省)によると、当時の孤児総数は十二万三五一一人であり、うち戦災孤児が二万八二四八人となっている(対象年齢は一歳から二十歳まで 表参照)。戦後二年半後に行われた調査だが、「一般孤児」の内容が不詳であるため、正確な実態は明らかでない。沖縄の戦災孤児の総数は一九五四年一月の琉球政府調査によれば三〇〇〇人となっている。この数は先の全国調査から約六年後、戦後八年余り経ってからの調査であることを加味すれば、戦後すぐの頃はさらに多くの孤児が沖縄にいたことがうかがえる。
 読谷村には、どのくらいの戦災孤児がいたのであろうか。村史編集室の戦災実態調査によれば、両親共に亡くなった所帯は三一家族。戦災孤児になった子どもは五九名となっている(十五歳以下)。戦災孤児は、戦場で保護され孤児院に収容された後、多くは親戚、知人に引き取られた。中には村外の親戚、知人宅やそのまま孤児院で育った人もいる。こうした子どもだけが生き残り、しかも本人や親戚も村内に在住していないケースでは、読谷村で実施された戦災実態調査から漏れている場合がある。このようなことから、戦災孤児となった村民の数は先にあげた数よりも多いと考えられる。以下に四人の戦災孤児の証言を掲載するが、このうち戦災実態調査表に記載があったのは二名であった。
 四人の証言の末尾に、戦災孤児たち五二名、計二五件の戦時状況を戦災実態調査表から要約し掲載した。
表1−1
全国孤児調査(1948年2月1日現在 厚生省調査)
内訳
一般孤児 81,259人(66%)
保護者戦死・戦災孤児 28,248人(23%)
引揚孤児 11,351人(9%)
棄迷児  2,649人(2%)
合計 123,511人
*内訳ミスか合計が合わないが、孤児総数は123,511人とされており、その数を引用した。下表の「年齢構成」の合計も123,511人である。(出典『語り継ぐ学童疎開』ホームページの「学童疎開と戦災孤児」より)。
年齢構成
1〜3歳  1,273人( 1.1%)
4〜7歳 13,213人(10.7%)
8〜14歳 57,731人(46.7%)
15〜20歳 51,294人(41.5%)
表1−2
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