第六章 証言記録


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座談会2 沖縄県立農林学校第四十二期生座談会

はじめに
1 県立農林学校入学から一年間の様子
   一九四三年(昭和十八)四月〜
   一九四四年(昭和十九)三月
2 一九四四年(昭和十九)四月〜十月頃まで
3 十・十空襲
4 十・十空襲後から一九四五年(昭和二十)三月まで
5 空襲から艦砲射撃へ
   一九四五年(昭和二十)三月二十三日以降
6 山を下りる
7 戦火を振り返って

はじめに

 沖縄県立農林学校は、戦前の実業学校の一つである。一九〇二年(明治三十五)に設立された国頭郡各間切島組合立農学校が、一九一一年(明治四十四)県立移管により沖縄県立農学校と改称され、一九一六年(大正五)に北谷村嘉手納(現嘉手納町)に移転した。一九二三年(大正十二)に林科を設置し、沖縄県立農林学校と改称した。
 一九四四年(昭和十九)六月、農林生たちは「農林報国隊」の名称で飛行場設営、高射砲陣地構築作業(読谷山村座喜味)等に従事した。八月には農林学校校舎が第二十四師団(山部隊)本部として接収された。
 一九四五年(昭和二十)三月二十五日空爆により校舎が全焼した。翌三月二十六日、読谷山村牧原の壕に集合命令がかかり、農林生一三〇人が集まった。そこで鉄血勤皇隊農林隊が編成され、第十九航空地区司令部(中飛行場警備部隊・青柳隊)に配属されることになった。
 三月二十九日、牧原の壕が爆撃により破壊されたため、越来村倉敷へ撤退した。
 四月一日、配属将校尚謙指揮の下に、三年生から二〇人を選抜して斬り込み隊を編成し、中飛行場へ向かった。しかし、本隊との連絡がとれず、翌四月二日、北部に布陣する宇土部隊へ合流するため出発した。同日、残りの勤皇隊(一一〇人)も安里教頭と共に北部へ向かった。
 四月三日、安里教頭のグループは食糧確保上の問題から、「今後は各自で北部戦線に参加せよ」と金武村で鉄血勤皇隊を解散した。一方、宇土部隊と合流した尚謙少尉のグループは、米軍との攻防戦のなか、学徒二〇人のうち一七人と尚謙少尉が戦死した。
 県立農林学校在学中の学徒、全体の犠牲者は一二四人に上る。
 一九四五年(昭和二十)、沖縄戦敗戦により沖縄県立農林学校は廃校となった。創立以来、四十三期までに三三二〇人の卒業生を出した。
 読谷村出身の農林学校卒業生及び戦没者については、「沖縄県立農林学校同窓会 読谷村支部名簿 平成十四年十月」によると、一九二五年(大正十四)三月卒業(二十一期卒)から一九四五年(昭和二十)卒業(第四十三期卒)まで、一八一人が卒業している。
 一九四一年(昭和十六)、四二年、四三年の卒業生(第三十八期、第三十九期、第四十期)は、十二月に卒業している。これは一九四一年(昭和十六)十月十六日、「大学学部等の在学年限又は修業年限の臨時短縮に関する件」が公布され、修業年限が三か月短縮されたためである。この時、繰り上げ卒業をしたものは、二十歳を待たずに召集を受けた。それは、一九四三年(昭和十八)十二月二十三日、兵役法が改正され、徴兵年齢が満十九歳と一年繰り下げられたためである。
 終戦当時、農林学校に在学していたのは、四十一期から四十三期である。村出身の在校生で戦死した者は一四人で、以下の通りである。
第四十一期(当時三年生)
 上地※※(比謝矼)
 比嘉※※(比謝矼)
 糸洲※※(比謝矼)
 古堅※※(座喜味・現都屋)
 比嘉※※(古堅)
 国吉※※(大湾)
 沢岻※※(大湾)
第四十二期(当時二年生)
 島袋※※(座喜味)
 比嘉※※(座喜味)
 与久田※※(座喜味)
 新垣※※(大湾)
 松田※※(大湾)
第四十三期(当時一年生)
 新垣※※(比謝矼)
 有銘※※(楚辺)

参考文献

『沖縄県立農林学校同窓会会誌』第三号
  沖縄県立農林学校同窓会編 平成十年二月発行
『比謝の流れはとこしえに』
  県立農林四十二期回想録 平成八年発行
『比謝川の絆』農科第三十八期、林科第十九期
  昭和十六年十二月卒 平成八年発行
『嘉手納町史 資料編2 民俗資料』平成三年三月発行
『「沖縄戦の全学徒たち」展 報告書』
  ひめゆり平和祈念資料館 平成十二年三月発行

沖縄県立農林学校第四十二期生座談会

年月日 二〇〇二年(平成十四)十一月十二日(火) 午後二時〜五時半
場所 読谷村史編集室二階
出席者 伊波※※(古堅)
 上地※※(楚辺)
 大城※※(渡慶次)
 知花※※(瀬名波)
 照屋※※(波平)
司会 玉城裕美子(村史嘱託員)
事務局側出席者
 渡久山朝章(村史編集委員)
 玉城栄祐(村史編集委員)
 豊田純志(村史嘱託員)
 辺土名初美(村史嘱託員)
 * 事務局は、発言者名を記すと繁雑になるため、事務局で統一した。
昭和15年頃の県立農林学校校門前の木麻黄並木
画像
事務局 今日は、一九四三年(昭和十八)に農林学校に入学された四十二期の同窓生の皆さんに集まっていただいて、学校生活の様子、日本軍との関わりや陣地構築への動員、空襲時の様子、米軍上陸後のそれぞれの体験などを聞かせていただきたいと思いますので、よろしくお願いします。
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