読谷村史 > 「戦時記録」上巻

発刊のことば
読谷村長 安田慶造

読谷村長 安田慶造
 ここに『読谷村史』第五巻資料編4「戦時記録」上巻が発刊されますことを心から喜びご挨拶を申し上げます。
 昭和十九年の「十・十空襲」、翌年四月一日の米軍沖縄本島上陸に始まった約三か月にわたる地上戦、そして広島・長崎への原爆投下と、未曾有の犠牲を強いられた我が国は、物量に優る米国の前に潰(つい)えたのであります。
 戦争は戦地に赴いた兵士のみでなく、老若男女を問わず国民すべてを巻き込み、尊い人命と家・屋敷を奪い去りました。今なお癒えることのない深い傷は人々の心と体に残されたままであります。
 半世紀の経過と共に実体験世代が少なくなり、戦争の記憶が風化しつつあると言われる今、二度と過ちを繰り返さぬように平和の尊さを伝え説くことはわれわれ世代の務めだと思うのであります。
 忘れたい悪夢に口を閉ざされる方も多いことも事実で、それはまたいかに愚かで非人間的な行為がなされたかを物語るものでもあると思います。
 先頃、県内紙が行った「県民意識調査」で二十代の七三%が沖縄戦について“もっと語り継ぐべき”としており、若年層の認識の高さに意外な印象を抱きながらも、その声に応える責務が私たちに課せられているような気がしてなりません。
 「温故知新」という言葉がありますように、歴史の真実を知り学ぶこと、そして記録することは極めて大切なことであります。
 多くの皆様方のご協力、ご尽力を賜りながら発刊にまで至りましたことは誠に感謝と喜びに堪えません。ただ、ご協力を頂きました先輩の中には、発刊を待たずして他界された方もおられますことは誠に残念であり、心からご冥福をお祈り申し上げる次第であります。
 本書の発刊が、戦争を取り巻く世相を忠実に知り、あらためて平和について考える機会となればと思います。
 沖縄全体は勿論、各字の戦前・戦中・戦後の生々しい姿、そして村内外及び県外、海外での先輩各位の筆舌に尽くしがたいご苦労の様子が手に取るように見えてまいります。
 執筆されました方々や聞き取り調査にご協力を賜りました皆様方には、ご無理なお願いもしてまいりましたが、自らの世代の記録としてのみでなく、戦争を知らない世代への平和のしるべとして、過去を思い起こしてお引き受け頂きましたことに心から敬意と感謝を申し上げる次第であります。
 今日の沖縄、ひいては日本の繁栄は皮肉にも多くの先輩方の悲しい犠牲の上にうち立てられたといっても過言ではありません。その意味におきまして、この二十一世紀が人間の尊厳が重んぜられる平和な社会であってほしいと願ってやみません。
 我々の世代から戦後世代へ「平和」というバトンを確実に引き継いでいきたいものであります。
 最後になりましたが、本事業の推進のためにご協力、ご尽力を賜りました関係各位に衷心より敬意と感謝を申し上げ、発刊のごあいさつといたします。

読谷村史 > 「戦時記録」上巻