読谷村しまくとぅば「むんがたい」

ハーリーの始まり はーりーのはじまり

話者 山内実(1901・M34) 地域 宇座 時間 02:51
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 うぬフチヂンでぃぬ(ちゅ)ぉ、(をぉー)ぬなー炊事係(すいじがかり)なたぐとぅ。(をぉー)ぬて、「ぃやーが大変(いっぺー)美味(まー)さんでぃ(うむ)いしぇー(ぬー)やが、フチヂン」んちゃぐとぅ、「(わー)大変(いっぺー)美味(まー)さんでぃ(うむ)いしぇー(まーす)やいびん」でぃ。「馬鹿(ばか)(をぉー)んかい()かてぃん(まーす)、うんぐとーる辛物(からむん)、なー美味(まー)さんでぃ()るばーい」んち。うりから、「波照間(はてるま)んかい、ぃやー島流(しまなが)し。なー(わん)にんかいなー謀反(むふん)そーぐとぅ、波照間(はてるま)んかい(なが)すぐとぅ()り」んち、()らちゃぐとぅ。


 なー(ぅんかし)ぇ、(かま)(うぃー)んけい(たな)かちよー、(たむん)から(ぬー)から()ちゅたんよ。とーとーフチジンぬ、なー(ふに)()てぃ(ぅん)じらん(めー)て、其処(ぅんま)んかい(まーす)(だらら)一俵(いっぷー)()ち、うぬ(たな)んかいて、(たー)がん()からんぐとぅし()ぎてぃ()ちぇーし。


 あんぐとぅ、なー(びち)御飯(ごはん)(ちゅく)やーが、御飯(ごはの)(ちゅく)てぃ(ぅん)じゃちゃんてーがん、(をぉー)ぬ「今日(ちゅー)()まらん」、あふぁさるあぐとぅ(まーす)()ん、「今日(ちゅー)()まらん」んちさぐとぅ。「(ひるま)しーむん」ち、「あんし苦労(くろう)(ちゅく)てぃ(ぅん)じゃちん『美味(まー)こーねー』んでぃ(いー)ん」ち。


 あんし、毎日(めーにち)(あみ)()いなてぃよ、其処(んまー)んとぅ、(かま)(いー)(なびー)、お(つゆ)()ちゅぬ(めー)んかい、(しる)ぬチョンチョン()たぐとぅ、塩汁(まーすじる)ぬて、(あみ)()たぐとぅ湿(しみ)きてぃ()たぐとぅ。(あじ)しなー、でーじな()(あじ)んり、「(ひるま)しーむんやっさー」ち、「今日(ちゅー)ぬお(つゆ)ぉちゃーし(ちゅく)たが」んちゃぐとぅ、「御無礼(ぐぶりー)(はなしー)やいやさびーしが、フチヂンぬが(かま)(ぅいー)んかい塩俵(まーすだら)()ちぇーびーたら、ちゃー雨降(あみふ)いさぐとぅ湿(しみ)きてぃ、其処(ぅんま)から(しる)ぬチョンチョン()てぃ、あんしなー()塩梅(あんべー)(あじ)なてぃ美味(まー)さいびんねーすん」。「えーあに。はーと、(ぬー)やか美味(まー)さしぇー(まーす)る、フチヂンが()んねー(まーす)るやてーる。フチジン波照間(はてるま)んかい島流(しまなが)しししぇー(わー)がる(わっ)さぐとぅ。うり()(けー)し」んちよ。


 あんし、波照間(はてるま)から()(けー)ち、「あんあんし、なー波照間(はてるま)から今日(ちゅー)(ちゅー)んでぃぐとぅ、(とぅまい)久米村(くにんだ)那覇(なーは)ん、三村(みむら)二才達(にーしぇーた)(ぅん)じてぃ、あり(んけー)り」んちよ。あんし、三字(みあざ)ぬしんか(ぅん)じてぃ、フチジン(んけー)いんでぃ、くぬ(なま)三重城(みーぐすく)(しちゃ)をぅてぃよ、船漕(ふにくー)(へー)く、(さち)(んけー)いしぇー褒美(ふーび)(くぃー)んでぃち(をぉー)からぬ達示(たっし)なたぐとぅ。


 あんしなー、フチジンのー其処(ぅんま)までーもーち(うみ)かい()てぃてぃよ、()じ。あんし、うりからぬ(はじ)まいんでぃ、ハーリー。毎年(まいねん)五月(ぐんぐゎち)四日(ゆっか)(ひー)や、(なま)ちきてぃやてぃん、ちゃーうぬフチヂン(んけー)いぬちむえーし。


 うれー戦前(せんぜん)ぬ、かーま大昔(おおむかし)大嶺(うふんみ)(ちゅ)ぬる(はなしー)すたる。大嶺(うふんみ)ウスメーがハーリーぬ(はじ)まい、うりから(はじ)まとーんでぃ。

 フチヂンという人は王の炊事係だった。王が「お前が一番おいしいと思うのは何か、フチヂン」と聞くと、「私がおいしいと思うのは塩です」と答えた。「バ力者、王に向かって塩だと、そんな辛い物がおいしいと言うのか」と王は怒り、「お前は波照間へ島流しだ。私に謀反を企んでいるから波照間へ行け」と、島流しにした。



 昔は、(かまど)の上に棚を作って、そこに薪などを置いてあったよ。いよいよ出発の日になると、フチジンは船が出る前に、誰にも気づかれないように、その棚に塩一俵を置いて行ったようだ。


 それから、毎日のように雨が続き、炊事係が食事を作ってさし上げても、塩がなくて薄味なので、王は「今日も不味くて食べられない」とおっしゃった。炊事係は、「珍しい事だ。こんなに苦労して作ってさし上げても『不味い』とおっしゃる」と嘆いていた。


 そうして毎日雨が続いて、湿った塩俵から塩が溶けて滴がポタポタと鍋の中へ垂れ落ちた。そしたら、そのお汁はとても良い味になった。王が、「珍しいことだ。今日のお汁は、どのようにして作ったのか」と炊事係に聞くと、「おそれながら申し上げます。フチヂンが竈の上に置いてあった塩俵が雨続きで湿り、そこから汁が鍋に落ちて、それで良い塩梅になっておいしいのだと思います」と。「そうか。何よりもおいしいのは、フチヂンの言う通り塩だったんだ。フチジンを波照間へ島流しにしたのは私が悪かった。彼を呼び戻せ」と王は命令なさった。


 それで、フチヂンを波照間から呼び戻し、「波照間から今日フチジンが戻って来るから、泊や久米村、那覇も、三村の青年たちは彼を出迎えなさい」と命じた。先に迎えたところには褒美を下さるとの王からのお達しが出され、三字の青年たちは三重城下の海岸から競って船を出した。


 ところが、フチジンは近くに来たところで、海に落ちて死んでしまってね。ハーリーには、フチヂンを出迎えるという意味合いがあるそうだ。それで、今でも毎年、旧五月四日にハーリーを行なっているよ。


 これは戦前、ずっと大昔、大嶺のおじいさんが話していたよ。ハーリーはそういうことから始まったんだってさ。

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