うぬフチヂンでぃぬ人ぉ、王ぬなー炊事係なたぐとぅ。王ぬて、「ぃやーが大変美味さんでぃ思いしぇー何やが、フチヂン」んちゃぐとぅ、「私が大変美味さんでぃ思いしぇー塩やいびん」でぃ。「馬鹿!王んかい向かてぃん塩、うんぐとーる辛物、なー美味さんでぃ言るばーい」んち。うりから、「波照間んかい、ぃやー島流し。なー私にんかいなー謀反そーぐとぅ、波照間んかい流すぐとぅ行り」んち、遣らちゃぐとぅ。
なー昔ぇ、竈ぬ上んけい棚かちよー、薪から何から置ちゅたんよ。とーとーフチジンぬ、なー船乗てぃ出じらん前て、其処んかい塩俵ぁ一俵置ち、うぬ棚んかいて、誰がん分からんぐとぅし上ぎてぃ置ちぇーし。
あんぐとぅ、なー別ぬ御飯作やーが、御飯ぉ作てぃ出じゃちゃんてーがん、王ぬ「今日ん食まらん」、あふぁさるあぐとぅ塩ぬ無ん、「今日ん食まらん」んちさぐとぅ。「珍しーむん」ち、「あんし苦労し作てぃ出じゃちん『美味こーねー』んでぃ言ん」ち。
あんし、毎日、雨降いなてぃよ、其処んとぅ、竈ぬ上ぬ鍋、お汁炊ちゅぬ前んかい、汁ぬチョンチョン垂たぐとぅ、塩汁ぬて、雨ぇ降たぐとぅ湿きてぃ垂たぐとぅ。味しなー、でーじな良い味んり、「珍しーむんやっさー」ち、「今日ぬお汁ぉちゃーし作たが」んちゃぐとぅ、「御無礼な話やいやさびーしが、フチヂンぬが竈ぬ上んかい塩俵ぁ置ちぇーびーたら、ちゃー雨降いさぐとぅ湿きてぃ、其処から汁ぬチョンチョン垂てぃ、あんしなー良い塩梅ぬ味なてぃ美味さいびんねーすん」。「えーあに。はーと、何やか美味さしぇー塩る、フチヂンが言んねー塩るやてーる。フチジン波照間んかい島流しししぇー私がる悪さぐとぅ。うり呼び返し」んちよ。
あんし、波照間から呼び返ち、「あんあんし、なー波照間から今日来んでぃぐとぅ、泊ん久米村ん那覇ん、三村ぬ二才達ぁ出じてぃ、あり迎り」んちよ。あんし、三字ぬしんか出じてぃ、フチジン迎いんでぃ、くぬ今ぬ三重城ぬ下をぅてぃよ、船漕じ早く、先迎いしぇー褒美呉んでぃち王からぬ達示なたぐとぅ。
あんしなー、フチジンのー其処までーもーち海かい落てぃてぃよ、死じ。あんし、うりからぬ始まいんでぃ、ハーリー。毎年、五月四日ぬ日や、今ちきてぃやてぃん、ちゃーうぬフチヂン迎いぬちむえーし。
うれー戦前ぬ、かーま大昔、大嶺ん人ぬる話すたる。大嶺ウスメーがハーリーぬ始まい、うりから始まとーんでぃ。
フチヂンという人は王の炊事係だった。王が「お前が一番おいしいと思うのは何か、フチヂン」と聞くと、「私がおいしいと思うのは塩です」と答えた。「バ力者、王に向かって塩だと、そんな辛い物がおいしいと言うのか」と王は怒り、「お前は波照間へ島流しだ。私に謀反を企んでいるから波照間へ行け」と、島流しにした。
昔は、竈の上に棚を作って、そこに薪などを置いてあったよ。いよいよ出発の日になると、フチジンは船が出る前に、誰にも気づかれないように、その棚に塩一俵を置いて行ったようだ。
それから、毎日のように雨が続き、炊事係が食事を作ってさし上げても、塩がなくて薄味なので、王は「今日も不味くて食べられない」とおっしゃった。炊事係は、「珍しい事だ。こんなに苦労して作ってさし上げても『不味い』とおっしゃる」と嘆いていた。
そうして毎日雨が続いて、湿った塩俵から塩が溶けて滴がポタポタと鍋の中へ垂れ落ちた。そしたら、そのお汁はとても良い味になった。王が、「珍しいことだ。今日のお汁は、どのようにして作ったのか」と炊事係に聞くと、「おそれながら申し上げます。フチヂンが竈の上に置いてあった塩俵が雨続きで湿り、そこから汁が鍋に落ちて、それで良い塩梅になっておいしいのだと思います」と。「そうか。何よりもおいしいのは、フチヂンの言う通り塩だったんだ。フチジンを波照間へ島流しにしたのは私が悪かった。彼を呼び戻せ」と王は命令なさった。
それで、フチヂンを波照間から呼び戻し、「波照間から今日フチジンが戻って来るから、泊や久米村、那覇も、三村の青年たちは彼を出迎えなさい」と命じた。先に迎えたところには褒美を下さるとの王からのお達しが出され、三字の青年たちは三重城下の海岸から競って船を出した。
ところが、フチジンは近くに来たところで、海に落ちて死んでしまってね。ハーリーには、フチヂンを出迎えるという意味合いがあるそうだ。それで、今でも毎年、旧五月四日にハーリーを行なっているよ。
これは戦前、ずっと大昔、大嶺のおじいさんが話していたよ。ハーリーはそういうことから始まったんだってさ。