アマンジャナーという人ぉよ、屋良ムルチんかい捨て子やてーるふーじ。あんしやてーるふーじやしが、うぬ人ぉなー、ちゃーしん人間ぉ運命んちあくとぅ。小さいになぎらってぃん、其処から魚ん何ん取ってぃが食らだーなー、ちゃーしが成長いーたらーうれー分からんしが、彼処をぅてぃ成長いーてぃ、なー人間なてーるばーて。捨て子やしが。
あんさーに、次第次第、成長いーてぃ頑丈者なたくとぅ、また勝連城んかい百姓やしがなー使ってーるばーて。あんし、次第ぃ力ぬ強くなたくとぅ、「なー城ぉ、按司ぇ殺ち私が大将なりわる」りぬ思いぬ有てーるばーてー。
ある場合なかい、海ん人頼り、漁民てー、「松明ちきてぃ、船ぇ幾ちん其処んかい寄してぃ来よー」んち、海ん人んかい頼まーに。海から松明ちきてぃ来くとぅ、「今、彼処から戦ぬ来びーしが」んち、按司ぇ合図さーに出じゃさーに。海ぬ崖んかい、次第次第、寄しやーに押し落とぅち、勝連按司ぇ。あんしから、勝連城ぬ按司なみそーちゃんでぃ、たったんに。
あんしやしが、なーうれー、アマンジャラーりぬ者ぉ、阿麻和利んりぬ者ぉ、勢ぬどぅく強さるあくとぅ。なーちゃーしん天下ぁ私ぁ勝手しわるやるりぬ、思いなやーにやてーるふーじやしが。あんしからまた、中城御殿ぬくりがーなー私んかい、また其処んかい弓引ち来くとぅ、女ん子ゐーらちょーけーあねーさんむんち、女ん子、妻、ウナジャラんかいしみてーるふーじ。
中城護佐丸ぉ実際や座喜味城んかいめんしぇたんでぃよー。山田城から座喜味城んかい。座喜味城や、あぬ人ぬ造みそーちゃんでぃ。あんし、護佐丸ぉ山田城から、座喜味城んかいめんそーち、其処っち城造てぃめんしぇーしが。首里城ぬ、中山ぬ、中城、「勝連とぅぬたなかんかい、護佐丸添てぃ来んあれー、勝連城から私んかい弓引くる恐れぬあん」んち。あんさーに座喜味城んかいめんしぇーし、中城んかい引っ越しみそーちゃんでぃ。中山ぬ命令してー。
あんしやしが、また阿麻和利ぇ、「くれー護佐丸落とぅしわる、首里城んかいやないる」んち、首里城んじ婿ぉやみしぇーくとぅ。首里城んじ嘘物言し、あんさーに、一番ぉ中山ん合点ぉしみそーらんてーるふーじやしが。うんぬ場や中城ぉ工事中、家造いぬ工事中やたんでぃ。あんさーに其処から使ぇちかてぃ、彼処ぬ様子見じーが行ぢゃくとぅ。なーうれーまんもーうとぅぬ様子る見ちょーくとぅ、はっきれー分からんてーるばーて。あんさーに、「あーやいびさー、うぬふーじーやいびーさー」んち、返答しちゃくとぅ。
あんしぇーなー、実際やれーくれー護佐丸ぬあんするわけーねーんしがんち、信じらんしが。あんし、様子見ち来っ、うぬ様子人ぬ悪さてーるばーてー、なー。使やーに、中山ぬ命令やんどーんち、中城んかいや戦ぁ仕掛きたくとぅ。護佐丸ん、うれーあねーあらんしがで思いしが、しかも中山ぬ命令なやーに、なーうれー中山んかいや手向けーならんくとぅ。「なー、私ぁ誠ぉ間違ぇねーん誠」、やむを得ない、中山ぬ命令なたくとぅ切腹しみそーちゃんでぃ。
あんし、うぬ妻、子ん全員殺ち中城ぉ、自分ん切腹しみそーんりしが。うっとぅんぐゎーや乳親ぬ、うり一人やなー暇ぁゐーやーに、乳親ぬ添てぃ行ぢ。
あんしから、また中山んかいなー、阿麻和利ぇ仕掛きーるくとぅんかいなてーるふーじ。やしが、中山んかいや、なー負きてぃ。
楚辺ぬヱーミんち在んよ、ヱーミ原んち。其処、戦前ぉ闘牛場やたるばー、造てーたるばーてー、其処ぁモーやんよ、また、アカムイ。
其処ぬえーか追ってぃ来やーに。其処っちぇーなー中山なかいぬ命令なかい押さーってぃ、ヱンミせーひち、ヱーミんち付きたんでぃぬ話。ヱーミ原りんよ、其処ぁ。いぇーりん殺さりーがひちゃらー、屋良墓んち今ん在んどー其処、楚辺ぬ上んかい在んどー。あん言ちゃんりる話。
阿麻和利はね、屋良ムルチに捨てられていたようだ。だが、人間には持って生まれた運命というのがあるからね。阿麻和利は捨てられて、そこで魚などを取って食べたのか、どのようにして暮らしていたのかは知らないが、そこで成長したわけだ。
そうして、成長していくにつれ丈夫になり、勝連城に使われた。そこで、次第に力をつけ、「城主(勝連按司)を殺して私が大将になってやる」という思いになったんでしょうね。
ある時、阿麻和利は地元の漁師に「松明をつけて、船を何隻もこちらに寄せてくれ」と頼んだ。そして、漁師たちが、海の方から松明をつけて来るのを見計らい、「大変です、今、向こうから敵が攻めてきます」と、城主を崖の方に誘い出し、隙を見て崖から突き落とした。そうして阿麻和利はあっという間に勝連城の按司になったそうだ。
そうなんだが、この阿麻和利という者はあまりにも野心が強く、もうなんとしてでも、天下を手に入れたいと思うようになった。中山王は、そんな阿麻和利の気配を察し、私に刃向かって来ることがあるかもしれないと考えた。そして、娘をやれば逆らうこともないだろうと、娘を阿麻和利のウナジャラ(王妃)として嫁がせたそうだ。
また、護佐丸が中城に来る前は座喜味城にいたそうだよ。座喜味城は護佐丸がまだ山田城にいる時に築城し、山田城から座喜味城に移ってきていたそうだ。しかし、中山王は、「首里城と勝連城との間に護佐丸(中城城)を置かないことには、勝連城から阿麻和利がこちらに攻めてくる恐れがある」と。中山王の命令があって、座喜味城にいた護佐丸は中城へ移ったそうだ。
それで、阿麻和利は、「中山王の忠臣である護佐丸を倒さなければ、首里城を落とせない」と考えたのでしょうね。阿麻和利は婿の立場を利用して、首里城で「中城の護佐丸が謀反を企てている」と嘘をついた。最初、中山王は阿麻和利の言う事を信じていなかったが、丁度その頃、護佐丸のいる中城は工事中だったそうだ。そこへ、使者を送って様子を探らせた。使者は周囲から様子を見ただけなので、はっきりは分からないまま、「ああそうでしたよ、その通りでした」と返答した。
護佐丸が謀反を企てるはずはないと、中山王には信じがたい事だった。しかし、様子を見に行った使者がそう言ったものだから、中山王は阿麻和利の謀略にはまって中城の護佐丸のところへ軍勢を向けたわけだ。護佐丸としても、それは思いもかけないことだった。それが中山王の命令によるものだと知り、中山王に手向かうわけにはいかないと、「私は清廉潔白だ」と言って切腹したそうだ。
切腹の前には、妻と子どもたちを殺してから切腹したが、一番小さな乳飲み子だけは乳母に託したそうだ。
その後、阿麻和利は中山へ攻め入るつもりでいたようだが、(真相を知った)中山に追われてしまった。
楚辺にはヱンミ原(親見原)というのがあるんだがね。戦前、小高い野原になっていて、闘牛場として使われていた。
阿麻和利は中山の軍勢にそこまで追い詰められて来たそうだ。そこで、ヱンミ(降参)したので、ヱンミ原という名がついたという話だ。多分そこで殺されたのでしょうね、阿麻和利の墓と伝われる屋良墓が今でもそこにあるよ。そういった話さ。