都屋徳武佐んでぃしぇー、今帰仁城、今帰仁親方んりがらーぬ子孫やみしぇーたんでぃ。あんさーなかい、うぬばーに、命失いるばーに、此処んかいめんそーち、夫婦とぅ子ぬ達とぅ来っ。あんし其処をぅてぃ凌じ命ぇ助かてぃ。
「あーなー命ん助かてぃやー、此処ぁ都屋徳武佐んでぃち付きりやー」んでぃ、徳ぬいぎたーが有ぐとぅ、何時ぐ何時までぃん此処んかいや徳有り。
あんししっから、今帰仁から何処んくい拝どーんや、都屋ぬ徳武佐んち、徳ぬ有んでぃち。うん、今帰仁からん来んどー。(あぬー、骨ん有いびーたさにやー)うん、骨ん有たんでぃしが、私達がーうれー分からんさー。(見じみそーらん?)、んーんんー見らん。
あんししっから、くぬ戦争にうっさぬ都屋ぬしんか、うぬ洞穴んかい入っち、うりから上から爆弾ん何ん落とぅすしが、うぬ壕んかいむる入らん、落てぃらん、一ちん落てぃらん。あんし、都屋ぬしんかー終戦後なてぃからいっぺー其処信じてぃ、助かてぃ。
都屋徳武佐はね。今帰仁から戦に追われた今帰仁親方の一族がここに逃れてきたらしい。そして、その洞穴に隠れて命を凌いだそうだ。
それで、「もう命が助かった、ここは徳があるから都屋徳武佐と呼ぶことにしよう」と、名が付いたんだって。いつまでも徳がありますようにということでね。
それからは、今帰仁など他所からも、都屋徳武佐を拝みに来るよ、徳があるということでね。うん、今帰仁からも拝みに来るよ。(あのう、骨もあったでしょうね)遺骨もあったそうだが、私らはそのことは分からないな。(見たことはない?)、いや見なかった。
去る大戦には、都屋の多くの人たちがその洞穴に避難した。上空からは爆弾も落とされたが、そこには一個も落ちなかった。それで、都屋の人たちは、戦後もなお一層、都屋徳武佐を崇拝しているんだよ、命が助かったということでね。