読谷村史 > 「戦時記録」上巻 > 

用語解説

参考文献

― か行 ―

海軍
 連合艦隊、鎮守府、艦隊、航空艦隊、根拠地隊、陸戦隊などに組織編成された。沖縄方面根拠地隊司令部(大田少将)は小禄にあった。
 
海軍階級
 日本海軍には、四等水兵・三等水兵・二等水兵・一等水兵・三等兵曹・二等兵曹・一等兵曹・兵曹長・少尉・中尉・大尉・少佐・中佐・大佐・少将・中将・大将などの階級があった。
 
海上挺進隊
 爆雷を積載した一人乗り小型艇で敵艦に体当たりし破壊する部隊。「ダイハツ」とも呼んでいた。
 
火炎放射器
 液体燃料を点火放射し、戦車や壕内、トーチカ内の敵の殺傷、防御物の焼却などに使用。
 
学童疎開
 太平洋戦争末期に、戦災を避けるため国民学校児童を農山村地域に集団的、または個人的に移動させたこと。沖縄では、おもに九州や台湾に疎開させた。
 
学徒隊
 鉄血勤皇隊や学徒看護隊など。沖縄守備軍である陸軍第三十二軍に、戦闘要員として動員された師範学校・中等学校・高等女学校の生徒によって編成された。
 
風部隊
 昭和十九年八月、大本営直轄部隊として新設。風一八九一八部隊(中央航空路部)は全国に編成され、東部・中部・西部・沖縄・台湾・朝鮮管区があった。沖縄管区は、沖縄本島(読谷及び小禄飛行場)・宮古島・徳之島・石垣島に展開し、第五野戦航空修理廠第一分廠(大刀洗航空廠那覇分廠)と一体となり、戦況及び気象情報・基地通信・整備・燃料補給・警備・給与の任に当たった。昭和十九年十月十日以降は第三十二軍の指揮下に入った。
 
カナアミ
 刑務所のこと。米軍は上陸直後、住民を非戦闘地に集めて収容し、夜間外出や居住地区間の無許可通行を禁止した。違反者は金網で囲んだ刑務所に入れられた。スターケイ、モンキーハウスとも称した。戦後は、米軍基地を囲んだフェンスのこともさす。
 
ガマ
 琉球石灰岩層に形成された自然洞窟。戦時中、軍民ともに避難壕として利用した。
 
神風特別攻撃隊
 神風特攻隊。零戦に二五〇キロ爆弾を積んで敵艦に体当たりする作戦。昭和十九年十月のレイテ沖海戦で、第一航空艦隊司令長官・大西瀧治郎中将が命じて正式に採用された。同時に陸軍も特攻隊を編成し、以後、特攻は日本航空戦術の主体となった。沖縄戦では陸海軍合計一九〇〇余機の特攻機が投入され、海軍特攻隊員二五〇七人中、二〇五五人が戦死した。
 
花柳病
 梅毒、淋病などの性病のこと。
 
艦載機
 戦艦・巡洋艦などに搭載する艦上機。
 
監視哨
 主として一地に留まり、敵の動静を見張りする所。その哨兵。
 
間諜(かんちょう)
 間者。スパイ。ひそかに敵の情勢をさぐって、味方に通報する者。
 
関東軍
 中国東北部(旧「満州」)に駐屯した日本の陸軍部隊。旧「満州」に置かれた二個師団約一万の兵力を前身として、一九一九年(大正八)、関東都督府が関東庁へ改組された際、その陸軍部が独立して正式に誕生。日本の「満州」支配の中核的役割を担った。太平洋戦争末期の四五年八月ソ連参戦によって壊滅。
 
関東軍特別演習
 関特演。「満州」朝鮮にあった関東軍をまとめ、さらに国内から二個師団を移して「満鮮一六個師団」を編成し、準戦時体制を敷いた。関特演は実際には戦時動員であったが、ソ連を刺激しないように演習と称した。一九四一年七月に開始され、約七〇万の兵力動員態勢をとったが、八月に中止された。
 
官報
 一八八三年(明治十六)七月二日創刊された国の機関紙。帝国議会の設立に備えて、明治政府が国民に政策等を広く知らせる目的で発刊された。憲法改正や各種法律・政令・条約等の官公務に関する事項や、叙任・辞令・国会事項などを編集し大蔵省印刷局から刊行されている。戦時中は「戦地其他死亡者」の記事も記載された。
 
艦砲射撃
 海上の軍艦から陸上に向かって砲撃を加えること。艦砲には主砲・副砲・高角砲の別があった。
 
艦砲ヌクェーヌクサー
 艦砲の喰い残し。沖縄戦で米軍の砲爆撃から生き残った人々が、自らを形容した言葉。初出は、比嘉恒敏(読谷村楚辺出身)作詞作曲の新民謡の題名による。
 
乾麺麭(かんめんぽう)
 保存・携帯用に堅く作った小形のビスケット風のパン。一般に「乾パン」と称した。
 
規格住宅・規格屋
 戦災で家を失った人や引揚者たちのために建てられた戦災復興住宅。茅葺きや米軍払い下げのテント、米国産のツー・バイ・フォー(2インチ×4インチ角材)等を使用して造った。広さ2間×3間(6坪)ほどで、標準屋ともいった。
 
機関砲
 低空飛行機を撃ち落とすための小型砲。高射砲よりも小型。読谷では北飛行場周辺に配置された。
 
紀元二六〇〇年
 日本書紀に記された神武天皇即位の年を皇紀元年とし、西暦一九四〇年(昭和十五)が紀元二六〇〇年にあたった。この年、日中戦争の長期化にともなう沈滞ムードを一変させようと祝賀行事が催された。
 
機銃掃射
 飛行機からの機関銃射撃。
 
帰順
 反逆の心を改めて服従すること。
 
北飛行場
 読谷飛行場。一九四三年(昭和十八)夏から設営作業が始まり、沖縄各地から徴用労働者・防衛召集者・学徒隊などが動員された。米軍上陸とともに占拠され、戦後は読谷補助飛行場として米軍が使用。
 
宮城遥拝(きゅうじょうようはい)
 天皇の居住する皇居の方角に向かって礼拝すること。
 
義勇隊
 兵役法に該当しない年齢層で自発的に編成した防衛義勇隊。沖縄では、在郷軍人で編成した八重山義勇隊(一九三三年)が最初。一九四四年夏、在郷軍人会の推進で各市町村に防衛隊が編成され、その後、防衛召集に該当しない年齢の青年学校生徒・中等学校生徒が主体になって義勇隊が編成された。沖縄戦での義勇隊は、陣地構築や弾薬運搬、伝令など後方勤務のほか、激戦地での直接戦闘にも参加した。
 
給養
 軍隊で人馬の生存に必要な物資を供給すること。
 
教育勅語
 正式文書では「教育ニ関スル勅語」。明治天皇の名で国民道徳の根源、国民教育の基本理念を明示した勅語。一八九〇年(明治二十三)十月三十日発布。一九四八年国会で排除・失効確認を決議。
 
挟撃
 両方からはさみ撃つこと。
 
供出
 日本軍が食料調達として、米や野菜などを半強制的に提供させたこと。
 
強制貯金
 国民貯蓄。十五年戦争遂行のため、戦費確保を意図して政府が国民に強制した貯金。県や市町村ごとに割当額が設定された。一九三八年(昭和十三)、沖縄県庁内にも国民貯蓄奨励課と国民貯蓄奨励沖縄県庁委員会が新設され、全県的に官製の国民貯蓄奨励運動が展開された。地域・職場ごとに国民貯蓄組合を結成し、四一年には「国民貯蓄組合法」が施行され、県民も国策によって貯蓄を強いられた。
 
玉音放送
 一九四五年(昭和二十)八月十五日、太平洋戦争の降伏を国民に告げるために天皇が行った終戦詔書のラジオ放送。録音は前日の午後十一時、宮内省の天皇執務室で日本放送協会(NHK)会長らの立会いのもとで行われた。「終戦阻止」をめざしてクーデターを起こした近衛師団の一部将校が、録音盤を奪取しようとしたが失敗した。
 
玉砕
 一九四三年(昭和十八)五月、大本営はアッツ島の守備軍が「全滅」したことを「全員玉砕」の新語を用いて報じた。中国の古書『元景安伝』の「勇士は瓦となって全うするよりむしろ玉となって砕けん」を語源とする、「全滅」を美化する言葉。「玉砕」という言葉で、軍人ばかりでなく民間人も自決行為を強制された。
 
魚雷
 攻撃を目的とする魚形水雷。水中を進行し、艦船に命中すると、頭部に装置した火薬が爆発してこれを破壊する。
 
機雷
 水中に敷設され、敵の艦船への接触などにより爆発する兵器。
 
斬り込み
 夜間、少人数で敵陣地に攻め入るゲリラ戦法のこと。
 
義烈空挺隊
 沖縄の米軍飛行場の機能停止を企図した日本軍空挺特攻隊。一九四五年五月二十四日、奥山道郎大尉以下一五二人が九七式重爆撃機一二機に分乗して北(読谷)・中(嘉手納)飛行場への奇襲攻撃を試みた。わずかに一機だけが北(読谷)飛行場への胴体着陸に成功し、一二人の隊員と三人の搭乗員が飛び出して米軍機七機を破壊したほか、二〇機に損害を与えた。これによって同飛行場は翌日まで使用不能に陥った。
 
金鵄勲章(きんしくんしょう)
 一八九〇年(明治二十三)に制定された勲章。武功により一級から七級の区分があり、年金や一時金が支給された。一九四〇年(昭和十五)四月二十九日以降は全ての戦死者に授けられた。四七年廃止。
 
勤皇隊
 十五、六歳から二十歳前後までの師範学校・旧制中等学校男子生徒で組織された少年兵。
 
勤労奉仕作業
 国家総動員体制に基づく半強制的な国民の労務提供。
 
空襲警報
 敵の航空機が空から銃爆撃することをあらかじめ知らせる警報。警報が鳴ると住民は防空壕などへ避難した。
 
空母
 航空母艦の略。航空機を搭載して、これを発着させるための飛行甲板・格納庫・修理施設などを備えた軍艦。日本海軍は第一・第二航空艦隊の赤城・加賀・蒼龍・飛龍などの空母をもっていた。
 
駆逐艦
 艦隊・船団護衛のための対潜・対空攻撃を主な任務とする高速小型艦。
 
グラマン機
 沖縄攻略戦に参加したアメリカの艦上戦闘機。十・十空襲の際の米軍機がグラマン艦上戦闘機だったことから、その名前が米軍機の別称になった。
 
軍国主義
 軍事を主要な政策とし、政治、経済、教育などの組織を戦争のために備え、武力により国家の目的を遂げようとする思想。軍人による政治支配。
 
軍事教練(訓練)
 軍事技能の向上をめざす訓練。
 
軍需工場
 軍事に必要な物資、兵器などを生産する工場。
 
軍人勅諭
 明治天皇が軍人に下した教典。軍隊教育の基礎となったもの。
 
軍政府
 沖縄における米軍の統治機構。沖縄戦終戦とともに沖縄島司令部が設置され、軍政を担当した。その後、何度か制度の変更を経る。
 
軍属
 軍人ではなく、軍に勤務する文官および文官待遇者。
 
訓導
 旧制小学校の正規の教員の称。学校教育法により現在は教諭。
 
警戒警報
 敵機の来襲を予想して警戒を呼び掛ける警報。
 
軽機関銃
 一人で持ち運びできる一〇キログラム程度の機関銃。
 
警防団
 空襲に備えるため、消防組(団)と防空を担当する防護団とを統合した団体。一九三九年結成。
 
検閲
 入隊以来受けてきた軍事訓練の成果を上官が検査すること。また、上官が兵隊の手紙などを検査することにも称した。
 
現地召集
 十七歳から四十五歳までの男子が、居住先において軍に召集されること。
 
憲兵
 軍事警察を主な任務とするが、旧陸軍では軍隊に関する行政警察、司法警察も兼ねた。
 
高射砲
 航空機を射撃する大砲。
 
皇土防衛
 太平洋戦争中、北緯三十度以北を「皇土」(天皇の治める国土)といい、そこに駐留する日本の軍隊を「皇土防衛隊」と称した。それに対して、北緯三十度以南の沖縄に駐留する日本軍を南西諸島防衛軍と称し、千島・小笠原・台湾などと共に「皇土防衛」の前線と位置付けられた。
 
工兵隊
 道路や橋を造り、陣地を築き、爆破、測量、通信など技術的任務を遂行する部隊。
 
皇民化政策
 主に十五年戦争期に朝鮮・台湾・沖縄及び東南アジアの各占領地域などで、住民を忠良な皇民にするためにとられた施策。特に朝鮮で「皇国臣民の誓詞」の朗唱・日本語教育・神社参拝を強制し、創氏改名を命じて朝鮮名を日本名に変更させ、従わない者には教育・職業上の差別を加え、約八割を改名させた。皇民化政策は、労働力の動員・徴兵の目的にも利用された。
 
護衛艦
 敵の潜水艦・航空機から船団や空母を護衛することを任務とする軍艦。
 
護郷隊
 沖縄戦に参加した第三、第四遊撃隊の秘匿名。第一護郷隊、第二護郷隊と称し、国頭郡一円を守備範囲とした。隊長には陸軍中野学校出身の将校が大本営から派遣され、現地召集の在郷軍人を幹部にした。隊員は国頭・中頭の青年学校生と県立三中鉄血勤皇隊を防衛召集して編成した。
 
国体護持
 万世一系の天皇が統治する国家体制を守り保つ意。太平洋戦争末期、敗戦色が強くなった日本で、いかに天皇制(国体)を守りぬくかということが戦争終結の際の問題であった。
 
国防婦人会
 正式には大日本国防婦人会。軍国主義日本の国策遂行を援護する目的で設立された婦人団体。一九三二年に大阪で初めて結成され、後に各地で結成された。出征軍人の送迎、慰問品贈与、戦死者葬列への参加、軍人遺家族への奉仕作業、その他諸々の労務を提供した。一九四二年、大日本婦人会へ統合。
 
国民学校
 一九四一年(昭和十六)四月一日、従来の小学校を改称し成立。初等科六年、高等科二年。皇国民の基礎的錬成を目的とした。
 
国民精神総動員運動
 国民を戦争協力に動員するための官製の運動。日中戦争(一九三七〜四五年)に際し、第一次近衛内閣が決定した「国民精神総動員実施要綱」に基づき発足。当初は儀式や行事を通じて精神教化をはかる運動が中心だったが、その後貯蓄増加・国債購入・金属回収などの経済国策協力運動が加わり、町内会・隣組や婦人会を通じて、特に女性が動員された。一九三九年(昭和十四)九月からは毎月一日、一汁一菜・日の丸弁当・禁酒禁煙などを守る興亜奉公日を実施した。一九四〇年(昭和十五)十月の大政翼賛会成立後、大政翼賛運動に受け継がれた。
 
国民徴用令
 国家総動員法に基づいて、一九三九年(昭和十四)七月に制定。国家による強制的労働力動員政策遂行のための勅令(四五一号)。当初は、申告義務のある職種の技能・技術者を対象に、作業庁や政府の管理工場・指定工場に徴用することが定められた。戦争拡大による兵力動員の結果、徴用規模が拡大、一九四三年(昭和十八)の改正で年齢枠が広げられ、すべての職種の技能・技術者が対象になった。昭和十八年十月制定の軍需会社法による軍需会社は、全従業員が徴用されたものとみなされた。しかし徴用だけでは不十分であったため、学徒勤労動員、女子挺身隊などを組織して、軍需部門への労働力確保が図られた。
 
国民党軍
 中国国民党軍。蒋介石総統の率いた右派の軍隊。初期には国民革命軍とも称した。後に、重慶軍、国府軍と称された。
 
国民労務手帳
 昭和十六年三月七日、労働力の移動防止を目的に、国民労務手帳法が公布、十月一日より実施。表紙に厚生省と記載。手帳を所持していないと、「労務加配米」(労働に応じた米の増配)がもらえない仕組みになっていた。対象者は、時局(戦時体制)産業の工場や鉱山に働く技術者と労務者で、当人の身分・経歴・技能程度・賃金などを記入し、必携指導された。
 
御真影
 天皇・皇后の写真の敬称。
 
御前会議
 明治憲法下で、国家の重大な緊急事件について、天皇出席のもとに重臣・大臣などが催す会議。一九三八年(昭和十三)一月一日の「支那事変処理根本方針」決定の御前会議(第一回目)から、四五年(昭和二十)八月十四日の「ポツダム宣言受諾の最終決定」まで、合計一五回の御前会議が開かれた。
 
五族協和
 「満州国」建国宣言の中で、日・漢・満・蒙・朝の「五族」の協調による「王道楽土」の建設をうたったもの。
 
国家総動員法
 一九三八年(昭和十三)四月一日公布、五月五日施行。政府の裁量で経済・国民生活・労務・言論・科学研究などへの広範な統制を実施できることを規定した法律。特に統制の細目については「勅令ノ定ムル所ニ依ル」委任立法であったため、以後政府は、勅令と省令によって経済を統制できるようになった。
 
湖南丸遭難事件
 湖南丸は大阪商船所属の貨客船。昭和十八年十二月十九日、疎開者を含む一般乗客五六八人と積荷六〇〇トンを乗せて鹿児島向け那覇港を出港。昭和十八年十二月二十一日、口永良部西方海上で米潜水艦から魚雷攻撃を受け、沈没した。沖縄県民の動揺を恐れ、軍事秘密として伏せられていたが、一九八二年六月生存者の証言によって三九年ぶりに全容が明らかになった。
 
古年兵
 初年兵にとって、彼らより一か月でも早く軍に入隊している兵隊のこと。
 
コンセット
 Quonset。米軍のカマボコ型兵舎のこと。
参考文献

読谷村史 > 「戦時記録」上巻 >